抄紙会社を設立した渋沢栄一。周辺には次々と製紙工場が立ち並び、王子は洋紙発祥の地として発展しました。空襲で焼け残った電気室の建物を利用して製紙記念館が建てられます。そちらには私が小学校1、2年の頃、紙の博物館となっていた時に訪れています。大きなスズメバチの巣が展示してあったことが記憶に残っています。

工場跡地から1998年、中央環状線の高速道路建設に伴い、すぐ側の飛鳥山公園に博物館は移転しています。飛鳥山公園には、紙の博物館と渋沢資料館、北区飛鳥山博物館と3つの博物館があります。

飛鳥山は江戸時代に徳川吉宗がソメイヨシノを中心に約640本植樹し、桜の名所として整備したのが始まりで、明治時代に渋沢栄一が別邸として、その後本艇として亡くなるまで住み続けます。曖依村荘(あいいそんそう)と名付けられ、グラント将軍や蒋介石、徳川慶光、タゴールといった人々を始め、国内外からの賓客をもてなす民間外交の場ともなりました。

大正期の2つの建物、晩香廬と青淵文庫が当時のままの姿で残っています。少し奥まった所には飛鳥山おみやげ館が営業していました。

3つ博物館は並ぶ様に建っていますが、そのうち渋沢資料館は事前予約制。飛鳥山公園に移設された紙の博物館に入ります。

紙の歴史について。人類は紙を発展させてきて、文字書いたり、絵を描いたり、ずっと昔からあります。明治の時期は洋紙が入ってきた時期で、印刷技術が発展して、大量に紙の需要が増える時期。木のパルプを原料とする様になった紙の進歩や、古い紙からも紙を作り、使った紙の分、木の植林をして無駄のないサイクルとなってい使われているといった説明などの展示があります。

製紙業も情報社会の進展により、文字を印刷したり書いたりする紙自体の使用量は年年減ってきています。ネットショッピングの広まりなどで、ダンボールに必要な紙は増えてきています。

飛鳥山にある紙の博物館では、“渋沢栄一と近代製紙業”の企画展が行われています。今週の大河ドラマでは、栄一が細かく文字が入ったお札を持ってセリフを話す場面がありました。日本人が本や新聞を読み、知識で発展するという話だけでなく、お札や切手も日本で作る。印刷技術だけでなく、使われている特殊な紙も作れる様になることが目指されていました。

飛鳥山公園の近くに以前、滝野川造幣局があって、現在は国立印刷局東京工場が西ヶ原にあります。

建物を出ると隣には北区飛鳥山博物館。一階は“渋沢×北区 青天を衝け 大河ドラマ館”。公園の道斜め反対側に専用の入居受付ブースがあります。この時期なので、待ち時間はなしで入れました。

“青天を衝け”の大河ドラマはほぼ毎回観ています。入り口を入って左側の展示室は、ドラマの衣装などきらびやかに並べられて展示されています。作者の大森美香さんからのコメントボードもあります。

向かいの右側の部屋では自分の肖像を入れたお札のお土産作りと、大河ドラマの場面の映像が流れていたりでした。出演者のサインが沢山掛かっていて、自分で考えたのですか、とデザインがいいものもあります。大河ドラマ館のボリュームとしては、TVで見ているので、少し物足りなく感じました。飛鳥山公園で半日ぐらいを過ごす予定だと、丁度良いと思った週末の午後でした。

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