令和元年10月度「朝の懇親会」議事録

日 時: 令和元年1021日(土) 9301130

場 所: 柏パレット3

出席者: 大西、佐藤(正)、今田、三好、山田、吉田、前中、野口、山本(一)

森松、小渕、西野、川端(俊)、森、高木、柳川、薮内、大塚、岩田、辻(和)、今村、辻(久)阪口以上 23名 

(敬称略、順不同)

             司会 高木氏 

1.      開会の挨拶(高木氏)

おはようございます。定刻となりましたので朝会を始めます。御指名ですので高木が司会を行います。

本日の講演は、千葉ブロックの森松さんが中国北京ゴルフ倶楽部支店長を務められた経験談を中心に「出会いの妙」という演題でお願いしていますので楽しみにしてください。

最初に大西ブロック長のご挨拶をお願いします。

2.      ブロック長挨拶

朝会の会場予約が込み合い取りづらくなってきており、通常の第三土曜日が確保できない月があり、日にち変更している月があります。予定表をお渡ししますので間違いの無いようにしてください。

来月の講演者は、東京校友会幹事の中村康子氏の「〜自分らしく生きる〜エンディングテーマと遺言書のすすめ」という演題でお願いしていますので多くの校友のご参加をお願いします。

○ではいつものように各自順番に3分程度で近況報告をしていただきたいと思いますが、従来時間オーバーする方も見受けられましたので、今日は簡潔に予定時間内でお話ししていただきたいと思います。

2.近況報告

 本部校友及び千葉県校友会総会の総括報告、各人の中学・高校・大学同窓会情報、趣味に関する情報(ホタル、コケ、登山、釣り、プロ野球他)、東葛ゴルフコンペ他プレイベートゴルフ情報、最近行った旅行(台湾・イタリア・国内など)の思い出・感想、台風15号による各自や他ブロック校友の被害状況や復興状況、病気対処方法や健康維持方法、現在行っている仕事やボランティア活動(傾聴など)、老人のストレス解消方法、地元・学友女子プロゴルフ選手情報、金沢市に昔から伝わる遊び(旗源平)の紹介、など様々な話題についての紹介、報告がなされた。

3.(高木氏)

 ○ありがとうございました。では少し休憩を取り森松さんの講演に移りたいと思います。

4.講演

講演者: 森松友男氏(昭和41年法学部卒)

演題:  出会いの妙

@   ゴルフ経営との関わり

職歴を紹介し転職した会社(東和耐火工業株式会社)が新たにゴルフ場建設・経営に携わったのを契機にゴルフ場経営に携わるようになり、昭和58年に3つのゴルフ場支配人に転職した。(皆川城、オークヒルズ、グレンオークス)

平成124月に役職定年退職し、5月ザ・プレビレッジゴルフクラブ(現グリッサンドGC)総支配人に就任。平成14年退職、平成15年〜平成174月中国北京ゴルフ倶楽部支配人。平成175月〜平成239月グリッサンドGC常務取締役、平成2310月グリッサンドGC・山武グリーンカントリC顧問就任、平成2812月退職現在に至る。 

A    中国研修生の受け入れ(1988年〜1990年)

1987年にオープンした北京ゴルフ倶楽部の幹部候補生として先発隊(5+通訳1名)を1988年に受け入れ、教育研修を行った。研修生は先発隊と後続隊で6ケ月ラップ、3年間で研修を終え帰国しました。

研修生はゴルフ場近くの民家を借り上げ日本の研修生、プロと一緒に住まわせ、クラブはダンロップより寄贈していただき練習をさせました。

異国の地で寂しかろうと思い、佐原市在住の代議士にお願い、佐原大祭の山車を引かせてもらったり、代議士宅で食事を御馳走してもらったり、市長の祖母の茶道手ほどき、富士山登山、河口湖別荘でのバーベキュー、遊園地めぐりなどで寂しさを紛らわせる努力をしました。

また、練習以外でキャデー業務などした時には日本の研修生並みの日当を払い、帰国時には中国で結婚費用を賄える程度の貯金が貯まっていました。

研修生帰国後、訪中の誘いがありましたが、仕事が忙しく16年後に中国北京ゴルフ倶楽部を訪れることとなりましたが、教育研修生は、王副総経理(副社長)しか残っていませんでした。

B   北京ゴルフ倶楽部へ

オークヒルズゴルフクラブ勤務時に、中国からゴルフコース運営を学ぶ研修生を受け入れていたことがきっかけで、定年退職後、大幅な売り上げアップを期待され、北京ゴルフ倶楽部の支配人に招聘された。北京ゴルフ倶楽部の社長は日本人であったが、副社長2人は中国人、現場は総指揮者の私以下グリンキーパー、コック長の3人が日本人で、その他150名程の従業員すべてが中国人、就任当時、中国語も話せず業務に不安を抱いていましたが、思ってもみない幸運が舞い込みました。

赴任して間もない20034月中国で恐ろしい伝染病SARS(重症呼吸器症候群)が大流行、伝染病拡大を恐れた当局は、北京市内の人が集まりそうな場所をことごとく閉鎖、人々が外食できない状態になり、唯一ゴルフ場のレストランだけその規制から外され、現地駐在の日本人や中国人がどんどん押しかけ、連日にぎわいました。

伝染病の流行は不幸なできごとではあるが、見知らぬ土地で大役を任された私には偶然の幸運となり、前年同月比150%アップ。北京ゴルフ倶楽部の期待にさっそく応える結果となりました。6月に入りSARSの安全宣言が出された後も同様133%と入場者の減少もなく9月末には年間の売り上げと入場者数目標を達成しました。

そして、やがて訪れる中国のゴルフブームに火をつけるきっかけともなった。

やがて北京の日中友好協会にも参加。北京在住の日本人らと交流、北京ゴルフ倶楽部への来場を積極的にかけ、当時日本企業が経営していた北京国際ゴルフクラブとも連携、コンペ、対抗戦を企画ゴルフ振興に奔走した。

C   中国のゴルフブーム

中国のゴルフ場は、1984年広東省にオープンした中山温泉ゴルフクラブが最初で、北京では1986年北京国際ゴルフクラブ,1988年北京ゴルフ倶楽部(勤務先)が誕生、2003年現在北京市内で19コースが稼働している状態です。更に新たに19コースの建設中です。

20034月に流行したSARSの拡大を恐れ、市場、レストラン、映画館など人の集まる所は閉鎖となるところが多くみられ、北京市民は身体を鍛えることが免疫力になると考えスポーツブームが巻き起こりました。市内ではバトミントン、テニス、縄跳び、フラフープ等スポーツ用品の販売は黄金期、ゴルフ場は営業許可となっておりゴルフ人口は著しく増大しました。

2013年北京市内の9ホール以上持つゴルフ場は5060ケ所、全土では520ヶ所と急速に増え、サラリーマン層までがプレーするようなゴルフブームが到来しています。

D   出会いの妙

人生には様々な出会いがある。仕事上の出会いもあれば、同級生、学校の同窓会、Facebookでつながった関係もあります。

サラリーマン時代別会社に勤務されていた方と長い年月を隔てて転職先(ゴルフ場勤務)で偶然出会う、また、日本のゴルフ場勤務時に教育研修に来ていた中国人と長い年月を隔てて中国のゴルフ場勤務で出会うなど様々な出会がある。

これから先も今までの仕事や同窓会、校友会での出会いを大切にしていきたいと考えます。

○学校卒業後の勤務、23度の転職歴を通じ、中国北京のゴルフ場に大きな期待を要求されて招聘、無事責任を果たされ帰国された森松さんが、北京ゴルフ倶楽部支配人在職中の話題を中心に当時の写真が写った詳細なレジメを示し、中国時代の交換名刺帳、日本人だより(会誌)、表彰状などを回覧、興味深い有意義な講演であった。

5.閉会の挨拶(高木氏)

本日の懇談会はこれで終了します。

次回は、1012日(土)に行います。講演は中村康子氏による「〜自分らしく生きる〜エンディングノートと遺言書のすすめ」です。

多数の校友のご出席をお待ち申し上げます。

 

= 阪 口 記 =