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大阪へは度々行っていたのですが、南部に位置する堺へは初めて訪れました。昨年の旅になります。商人の街として有名ですが、織田信長に売った鉄砲といった武器と、平和的な外交手段ともいえる茶器などがから堺をイメージしていました。大昔の古墳時代に遡ると、その象徴でもある仁徳天皇陵が堺にあります。阪神甲子園球場の12倍あり、クフ王のピラミッド、秦始皇帝陵、とで世界三大墳墓とされています。現在では44期の古墳がありますが、過去には100基以上の古墳があったことが分かっています。2019年に百舌鳥・古市古墳群としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。南海堺駅から私の乗ったハンドルが少しカマキリの自転車で、街中をちょうどお祭りをしている中通り抜け、市役所へと着きました。休日ですが21階は展望ロビーとなっていて、360度の方向を見ることができます。南の方角に広がる、仁徳天皇陵やその向こうの履中天皇陵を上からの...
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雨降りの午前中は高田本町商店街のアーケードのお店を見ながら歩いていました。正午より前、雨が上がり、出発時間が当初の予定より大夫遅くなってしまいましたが、春日山城址へと向かいました。前回訪れた時には坂を車で登り、春日山神社のお土産店と鳥居があるところに車を駐車しています。春日山神社は謙信公を祭主とし、旧高田藩主の小川澄清が明治34年(1901年)に創建したとありますので比較的最近のことの様です。その長男が日本児童文学・日本のアンデルセンの父と呼ばれた小川未明、本名、小川健作。お城へ向かったこの日、坂を上る前の道路の左側に大手道の標識が目に入りました。すぐ奥に無料の駐車スペースがあったので、できるだけ木陰に駐車しました。訪れた暑い時期です。水田が広がる田園風景の一番山の端にある自然と、人の手入れとが入り混じった風景。ここから、お城まで徒歩で所要時間は約1時間と書かれていますが、登っていきます。...
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WBSCプレミア12の決勝戦を日曜日に観に行ってきました。 ◎は日本に住んでいてすぐに分かりますか?野球の世界大会。4年に1度、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催される真ん中の年に開催されます。今回が2回目の開催。台中、ソウル、千葉、東京と ◎グアダラハラ ◎桃園 で行われました。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を国際野球連盟(IBAF)の世界選手権として公認するとともに、それまでの世界大会であったIBAFワールドカップ(1938年-2011年)、IBAFインターコンチネンタルカップ(1973年-2010年)などの世界大会が廃止・統合され、世界野球ソフトボール連盟(WBSC)主催の、WBSCプレミアの大会として新しいスタートを切りました。前回の第1回大会は韓国が優勝。今年は2度目の開催。 ◎ 参加チームは:など世界ランキング上位12チームです。東京オリンピックも...
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京都駅から七条通りを東山の方向へ向かうと、三十三間堂と道路を挟んで、豊国神社があります。大阪城を築城した豊臣秀吉は東山の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬されました。秀吉は遺言で、自身を"新八幡"として祀るように命じますが、朝廷からは"豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)"の神号が与えられ、遷宮の儀の後、社は豊国神社と命名されます。生前、東大寺の大仏より大きい6丈3尺の大仏を建立します。約19mの高さです。小田原征伐を挟んで天正19年(1591年)に大仏殿の立柱式が行われます。式は千僧供養会で行われ、天台宗、真言宗、律宗、禅宗、浄土宗、日蓮宗、時宗、浄土真宗(一向宗)の僧が出仕しています。以後豊臣家滅亡まで千僧供養は毎月行われていたということです。大仏は奈良や鎌倉が有名なので、京都といって大仏のイメージを思い描く人は意外と少ない気はしています。京都を訪れて寺社仏閣以外、食べ物や和服での街歩きなど、何...
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湖の湖畔から、カヌーで漕ぎ出しました。湖の真ん中を悠然と進むのですが、堤高が86mあるといいます。私の住んでいる近所の水辺では深いところでは数メートルなので、底はちょっと想像できない深さです。水面に浮くのではなく下に沈んでしまうと、南国でも湖の底はすごい冷たいと思いました。水面の景色は、両岸の際から上がったところには木々が生えています。なので大自然の中をカヌーで進んでいて怖いとかはあまり感じないと思います。海のように波があるとか、速い速度で水が流れ落ちる渓流でもなくて、穏やかな雰囲気です。ライフジャケットを着用していて、落ちてもたぶん水面には浮かんで、同行しているほかのカヌーが助けてくれるとは思いました。記憶というか、やんばる学びの森を訪れた昨年の夏の記録を書いています。これから訪れる冬の時期も、見られる魚や動物、木々の様子も違い、気候も寒くはないと思いますので、またそのうち機会があれば訪...
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今年の梅雨明けするタイミングにフジロックフェスティバルに行ってきました。土曜日に参加しましたが、もの凄い天候。台風も接近していたので、風はあまり強くはなかったものの、強烈な雨。フェスにはこういう事も付き物かもしれないです。越後湯沢に新幹線でと到着した10:00台には、フジロックの会場の苗場スキー場行きのバスは長蛇の列。タクシーで荷物を置きにホテルに向かおうとするも車は来ない。人込みでした。ホテルからはフジロックを見に行くお客さんと相乗りして会場へ向かいました。聞いた話では駅のバス待ち時間は約2時間ということでした。会場近くの渋滞を抜けて苗場へたどり着いたのは1時過ぎ。ホテルでは、どこも出払っていたタクシーが思ったより早く来てくれたのですが、話していて予約が違うお客さんの様でもあり少しツキはありました。なんとか会場に辿り着いたときには、雨はまだ降っていませんでした。遠くから時間を掛けて費用を...
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令和を迎えたゴールデンウイーク中の後半の一日。ハイキングに行きました。天候もよく晴れ渡った5月は、初夏を思わせる暑い日差しが差し、汗をかきながらですが、木々の下の涼しい空間を歩きます。秦野駅に着いたのは正午前。朝ご飯を家で食べてから、列車事故で若干ですが、こちらまで着くのが遅くなった感じです。ハイキングの途中でラムを食べることにしていましたが、そちらの昼の時間の終わりが分かりませんでした。お蕎麦で軽く、腹を満たすことにしました。箱根蕎麦、という店のチェーン。その後、弘法山公園の入り口まで町の中を通って歩きます。駅を出てから水無川をまず渡りますがこの時期、本当に流れる程は水のない感じでした。もう少し下流に弘法の清水があるのですが、今回訪れるのが初めてということもあって見逃してしまいました。山を登り始めると家族の一行や引率と中学生ぐらいの隊列、つえを持っている老夫婦など、ゴールデンウイーク中の...
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この一帯は以前、漁師の街でした。スズキ、カレイ、ハゼ、ボラ、イワシ、カニ、エビ類、アナゴ、と豊かな漁場で、江戸に出荷されていました。徳川家康は葛西、浦安、行徳地域を天領とし、塩の生産を保護し、大阪の佃島や和歌山の漁師を浦安に移住させました。埋め立てによって、千葉県浦安市の面積は4倍になりました。以前は東京に川を挟んで隣接しながら、今思っても狭いエリアであったことに気がつきます。埋め立て地はウォルト・ディズニーの敷地にもなっていますが、現在住宅地になっているこの辺りは、海楽円という海水浴場になっていて、海の家もあったりで、東京からの観光客で賑わっていまいた。周囲ではハゼ釣りや潮干狩りも楽しめました。ブルーツーリズムとして成功していました。海の神、大綿津見神として祀られる清瀧神社は建久7年、1196年に創建されました。本殿は250年前に村民の積立金で作らた際、上総ののケヤキ1本から大工の棟梁が...
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水辺から上がった後には、琉球の踊りを観たり、藍染めでハンカチに絵を描いたりして過ごしました。入場前のエリアの沖縄の駅ちゃんぷるーでは特産品や民芸品などのお土産が沢山売っています。ドーム型の屋根の下にあって、暑い日差しや雨も避けて楽しめます。私がモズク丼を食べ始めると、丁度踊りが始まりました。ちゃんぷるー劇場の近くまで食事を移動させて鑑賞しました。恩納村にある琉球村はいくつもの古民家が集まっています。青の洞窟から車で10分くらいのすぐそばにあります。旧大城家、旧比嘉家、旧島袋家、旧玉那覇家、旧仲宗根家、旧西石垣家、旧花城家、旧國場家など、県内各地から昔ながらの建物がこちらへ移設されてきています。テーマパーク全体の、昔からの沖縄の家々が立ち並ぶ空間をを歩いていて、時間が来ると音楽の演奏や踊りが始まるので、そちらの家にお邪魔をして部屋の中で座って聴いたり見たりです。家々の一画に神神信仰の聖地であ...
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米沢城で生まれた伊達政宗は、玉造郡岩手沢城(城名を岩出山城に変更)の58万石に減転封されていました。関ヶ原の戦いの後、居城を仙台に移し、仙台城(青葉城)と城下町の建設を始めます(慶長6年(1601年))。この時、35歳。60万石の初代仙台藩主になります(後に加増で62万石)。政宗は18歳の若くして、父・輝宗が隠居するに伴って伊達家第17代当主となっています。それから、亡くなる70歳まで、2代将軍秀忠、3代家光に仕えます。家光が参勤交代制を発布した際には逸早く賛成しますが、当の政宗は参勤交代の途中で病が悪化し、江戸で亡くなっています。広瀬川を渡った森の中からは毎朝、ゴンゴゴーンと鐘を突く音が聞こえてきます。最初3回捨て鐘を突き、中で8回つき、最後にゴンゴンゴーンと鳴らします。夕方6時ににも鳴らすそうです。政宗は生前、ホトトギスの初音を聞くために、経ヶ峯に登り同行の家臣に、死後ここに墓所を作る...
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