夜襲をさけて

神奈川の方から千葉の方に渡って
きて、こんな深い穴に隠れる必要
があったなんて思いませんでした。
こちらには味方がいて、追手に
探し出されないように。

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普通の一人の人間の助けなく
歴史の流れた方向が全く違
っていたような、そんな記憶を
現在まで伝えるように、それ以来
家族が一戸だけ住んでいる場所
です。

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ホテルの人に、朝食は港で食べら
れると教えてもらい、チケットを
買い、そこから船着場まで来て
みると、まだ朝早かったのかと
思いました。

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看板もあり、少し待つと手漕船が
やってきて、今日の曜日は店は休
みで、島の食堂案内の方もという
ことでした。道の方まで戻って
朝食ののち、島に渡ってもという
ことでした。お腹は空いていました
が、そのまま乗船しました。

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船が着き、売っているおみやげを
お腹を昼まで満たす分くらい買い、
少しずつ食べながら、石段を登り
多くの石碑を読みながら、弁天道を
まっすぐ展望所の方へ。

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逢島弁財天(寿老人合祀)の横
から、船に乗船した方、本島の方
にたくさんの鳥、トビが舞って
いました。そこまでの途中に首が
長い大きな鵜でしょうか。岩場に
留ったり、滑空していました。

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亀岩のあるこちらの方向を写し
残したのですが、パンフレットの
写真とどうも違うモノのようです。
金銀茄子という珍しい植物は探せな
かったので出会えませんでしたが、
夏涼しく冬暖かく四季を通じて花が
絶えることないそうです。

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島を所有している平野仁右衛門
実際に現在も住んでいます。
仁右衛門島といいます。

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そちらの庭を通り抜けてさらに道を
進むと日蓮聖人が旭を拝した所と
いわれる神楽岩です。

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源頼朝かくれあなも入り口の正一位
稲荷大明神も少し距離を置くと分
からないですし、鳥居はその時には
なかったと思いますから、
味方には分かっても、敵にはすぐに
は居場所はしれなかったでしょう。

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この一間の奥の一間。昼間でも
暗いですが、一人でなく何人かも
忍べる空間。何日ぐらいいたので
しょう。
頼朝一行を祀りお酒富翁が供えら
れていてどういう言われがある
のか、ちょっと調べてみると
残念ながらこれ以前の文献が残
っていないため明暦三年を創業と
しているということです。

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襲撃を避けるために
夜、どうしていたのか。
9月、10月(新暦)頃でまだ寒く
なる前ではあります。危険と隣り
合わせで、お酒を飲んでよく眠れ
たでしょうか。
立て直せるか、波枕に明日のこと
を考えてみて。

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