落ち着いた所から眺めて

秀吉の養子となった智仁(としひと)
親王は将来の関白職も約束される身でした
が、豊臣秀吉淀君鶴松が生まれ解約し、
八条宮家を創設しました。

kiv001.jpg
桂川:八条通り近辺から西京極の方角

秀吉の財政的支援を受け、宮家の別荘とし
て数年ほどの間に、簡素のなかにも格調を
保った桂山荘を完成させました。桂離宮
その中でも、40 歳前半には古書院も建てら
れたとみられます。

kiv016.jpg

建築物のうち書院は書院造を基調に数寄屋風
を採り入れています。また庭園には茶屋が
配されています。

kiv013.jpg

しかし、1629年に智仁親王が亡くなってから
は荒廃をしてしまっていました。その後、
息子の智忠(としただ)親王が1642年
前田利常富姫(ふうひめ)を妃として、
財政的に裏付けを得て豊かとなり、ほぼ今日
にみられるような在来の建物や庭園を巧みに
調和させた中書院、さらに新御殿、月波楼、
松琴亭、賞花亭、笑意軒等を新増築しました。

kiv009.jpg
園林堂

父智仁親王の影響を強く受け、学問を好み、
和歌、書道に秀でていました。源氏物語
こよなく愛し、800s - 1200s 頃の文学から
影響された木や岩の配置を行ったという
ことです。

kiv002.jpg

新御殿は後水尾天皇とその后の訪問の
ため造られたということでしたが。
中書院と楽器の間で繋がっています。
新鮮な空気を最大限取り入れるため、
庭と池の風景を障害物なしで眺める
ように出来ています。

kiv005.jpg
こちらは松琴亭。後陽成天皇の宸筆から
採られています。

しかし、智忠は天皇(上皇)が訪れる
前に亡くなってしまいました。
智忠には子がなく後水尾天皇の息子の
穏仁親王が八条宮家を継ぐことになります。

kiv017.jpg

楽器の間の南側の芝では蹴鞠が行われて、
そこのベランダから見ることができました。
月見台や月波楼から湖面に写し月見です。

kiv018.jpg

軒下には小石で覆われた浅い溝があって、
屋根から落ちる雨で建物の壁や芝がどろ
どろしないようにです。

kiv004.jpg

庭園は様々に合わさっている・美しいだけ
でなく、回遊式庭園(Stroll Garden: ぶらぶら
歩く庭)の先駆けとして位置づけられて
います。水の合間を廻る道があり、その
道々のある一箇所で見られる風景という
のは、それぞれ同じ眺めがどこからもない
ということです。細部の風景がそれゆえに
全体よりも重要視されます。

kiv003.jpg

歩いて行って、初めは池や景色、建物の方向
がぼんやりしていますが、ある地点で目の前
に風景が突然現れます。

kiv011.jpg

砂利の歩く道は、なめらかでなく石も配置
されているので、転ばないように足元の注意
が必要です。そこでは遠くの風景を見ていな
いことにもなっているみたいです。

kiv015.jpg
ビーフン(台湾産?細麺です)

ガイドさんの説明をもっとじっくり聞いて
いたらよかったのですが、実際、池に落ちは
しませんでしたが、今出川に留学している
台湾の方と話していて、躓いて転びそうに
なりました。後でスイスの学生カップルと
話していたら、先に行ってしまったようです。

kiv008.jpg

転ばなそうで見られる地点から、見えるよう
に配置され、そこで文学のシーンが垣間見える
ことで、感情だけでなく知性にも訴えかけます。
いにしえの人の感情だけでなく、表し方の数々、
人の機微に触れられるかもしれません。

No TrackBacks

TrackBack URL: http://www.melotone.net/sfjournal/mt-tb.cgi/30