暑く寒い中永きに在る、憩いの空間

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牛車に乗り曳かれて門の中の
御車寄まで連れてきてもらって
またここから外に外出していたのでしょう。

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大正ぐらい(1915)には、車になりますから
新御車寄せが必要になりました。

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通る門も、位やその場面によって異なりま
すが、現在の一般の人は清所門からです。
自転車に乗って京都御苑に入っているのは
烏丸通りからの別風景で、外側になります。
くぐってきて京都御所のツアーに参加しまし
たが、解説をしてもらったのが広い中の盛り
だくさんでした。その時点での細部は、参加
者と話していたりで、書き漏らしているとこ
ろも多くありますのでお願いします。

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諸大夫の間

身分の高い方が入るまで待つための部屋です。
左から桜の間(原在照)、鶴の間(狩野永岳)、
虎の間(岸岱)のランクの低い順から眺めて、
最初の2間の畳は飾り気のない茶色の縁で留め
られていますが、右側は花の模様があるシルバ
ー色のリボンで留められているとガイドブック
にありました。私が写していた写真を拡大して
みると、桜の間は赤く見えるので、分からない
ところもあります。

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紫宸殿

紫宸殿の南側に位置し、瓦屋根で3つ組みの入り
口からなる承明門からで、中の方が見られます。
回廊の中側の白い砂に、月や日の光が反射して
殿内に入るようになっています。1000年かそれ以上
続いていた即位礼(大正天皇・昭和天皇)など、
重要な儀式を執り行う最も格式が高い正殿で、
京都御所の象徴です。正面上の"紫宸殿"の扁額
は岡本保孝の筆で、嘉永時の炎上を免れました。
中の母屋中央には鳳凰を頂く天皇の御座"高御座"
と、鸞鳥を頂く皇后の御座"御帳台"が置かれて
います。

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建礼門

御所の南端に位置しています。
ここを出入りするのは天皇のみです。
年に2回一般にも公開の目的で開きます。

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春興殿

平安時代の頃の武具を置くために建てられた
春興殿とは位置が異なっています。
大正天皇の即位に際して、後位継承の三種の
神器の一つ"神鏡"を奉安するために建てられ
ました。

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清涼殿

別棟として御常御殿が建てられるまで永い間、
天皇の日常の生活の場でした。20㎝程の落差の
滝口があり、そこから落ちた御溝水は、御溝に
そって楚々とした流れを作ります。何廂は殿上
(てんじょう)の間と言って、殿上人というの
は、ここに昇殿できる者のことです。

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御池庭に面して小御所・蹴鞠の庭・御学問所が
あります。


小御所は王政復古の大号令が発せられた後の
"小御所会議"が行われました。

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御池庭

池を中心とした回遊式庭園で、洲浜の中に飛石
を配し船着きに導いています。後水尾天皇と
小堀遠州によって作られ、19世紀に再興されま
した。手前の砂浜は小さなブラックストーンで
敷き詰められていて、富士山に近いビーチから
もってこられた小田原藩からの贈り物です。

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四角い鞠懸または蹴鞠の庭


鞠は鹿革で作られ、地面に落とさないように数
人で蹴り渡されます。


御学問所では詩の月例会や皇族の講義、新年の
読書会などが催されるなど、天皇の勉強や歌な
どの文化の向上に用いられました。

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この辺りで写したのですが、花見ででしょうか?
和歌を詠む日本の装束の様です。

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御常御殿

仁寿殿から清涼殿に移った天皇の生活の場も、
居住様式の変化に対応できず、秀吉の行った
天正度の造営に際し、御常御殿(the Everyday
Palace)が別棟として建てられました。建物内の
先は一般公開はしていませんし、ここから奥の
北側はいわゆる奥向きの御殿といわれます。

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*平安京の大極殿は現在の千本丸太町あたりに
建っていました。
*現在の京都御所は土御門東洞院殿といわれる
里内裏の一つです。

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