2013年10月 Archives

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関ヶ原の合戦の翌年(1601年)、家康は西側の諸大名に二条城の築城を課しました。堀川通りと御池通りの北に位置する押小路通りに面したこのお城の位置は、1569年に織田信長が足利将軍、義昭を擁立した際の将軍のための施設でした。京都を追われた後、空き家になっていましたが、徳川家康が接収しました。私が訪れた日には、修学旅行生らしき学生服を着た若者が入り口付近にも、二の丸御殿にも多くみられました。残念ながらこの御殿では、廊下はうぐいす張りの廊下と言われていて、混じっていた敵の刺客が廊下を早足で歩くと、床板から音が鳴るように出来ているのですが、内部が大部分改装中ということで、部屋の中が多く見られなかった点と、そういうわけでそこの間を大勢の生徒が早足で通過していったという点がありました。改築に募金等で協力しているという方々と、何をしているのか、私も参加できるのかを聞いてみたのですが、男性や女性の着物を着...
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