一つ物として毎年、大猿に差し出される
稚児=人身御供(ひとみごくう)。
鎌倉時代に行われるようになった
流鏑馬(やぶさめ)もここでは、敵を
想定して騎馬戦の訓練といった人対人で
はなく、ムネノキの根元のサルを退治す
る、農業の豊作を願う行事として行われ
ています。
新治(土浦)の日枝神社は近江坂元から
御神体を平城天皇の時(807)迎え、
赤坂の日枝ともならんでいて、
約千年の歴史があります。
花の色は、、絶世の美女とうたわれた
小野小町は旅の途中、現在の土浦市
小野地区で病で倒れなくなったという
言い伝えがあり、小町小町の墓の
五輪塔など数々の小町伝説があります。
婦人病に悩む人や美人になれるという話
から多くの人が訪れて、ほうろくを借り
ていきます。願いが叶えられてほうろく
を2個にして返していきます。
そちらの小町の館が日枝神社から約1㎞
の所にあり、直径7mの実際に見て大きい
水車で製粉された手打ちそばを食べる
ことが出来ます。様々な体験の体験工房
やおやすみ処もありゆっくりと過ごすこ
とができます。
太鼓の披露が始まりました。
主役入場
子供ですが、サルは男の子を要求したの
か、女の子なのか。女装ということは
どちらなのかその時、聞いてみたらよか
ったです。
馬上で、下の人が帯を解いていました。
着物を着たままですと下馬はうまく行か
ないのか。この角度から、頭からまるで
一角獣の角が見えるようです。
式典開始まで演奏です。若い人や子供も
混じって演奏していました。
祭典開始
境内の馬場は150m程あって、3カ所に
的が立てられます。小神野従羅天
(じゅうらてん)が見付け、市川将監
(しょうげん)が馬上から弓を放ちます。
一の矢場のそばです。最初の回ではあたり
ませんでしたが、2周目では見事に的に
命中しました。的の木が割れるのでなく、
矢が刺さりました。
日本のお祭りということで、日本人に
混じり外国の方も見受けられました。
筑波に研究に来ている乃木坂や千葉の
大学のパキスタンやメキシコ、中国の方、
筑波で働いているロシアの方もいて、
自転車を漕いでここまで来たということ
でした。
日曜日は晴れ間がでたり、またぽつぽつと
ですが雨が落ちてきたり、気温が急に寒く
なる時間もありましたが、
子供たちも元気に馬と一緒に走っていまし
たので、暖かかったかもしれません。
そのあと、東城寺まで、途中車から降りて
かなりきつい坂や階段を登りました。
比叡山の麓に坂元の日枝神社があるような
感じです。結界石があり、上に鯉も泳いで
います。
天台宗のお寺として繁栄を極め
ましたが、後に真言宗に改宗されました。
最後に、しだれ桜が綺麗な神宮寺に寄り、
本堂の中の両界曼荼羅、釈迦十六善神図を
あげてもらいみせていただきました。
先ほどの山の上から羽子板の玉になると
聞き、もってきました。羽根になったら
晴れの日に山の上から、矢のようには
いきませんが、どこまで飛ぶか様子を
見れたら気持ちいいかもしれません。
そこにいる誰か、打ち返して欲しいです。
こちらに来て、私の顔に黒い墨もつけて。