手児奈の歌

井戸で水を汲む美しい娘を見初めて求
婚する。そんなことが里人から国府の
役人、噂を聞きつけ都からも男なので
?やって来て、ついにはそれを苦にし
て彼女は、私さえいなければと真間
入り江に身を投げてしまいました。

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この娘、手児奈(てこな)の話は奈良時代、
760年頃発行された日本最古の歌集・
万葉集に引用されています。
都から相模国を経てそこから海路、真間の
浦となっている入り江の葛飾の真間まで
山部赤人高橋虫麻呂など著名な歌人が
旅をしてきたそんな所です。

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JR市川駅を出て大門通りを途中、京成
本線の線路の踏切を渡り北へ歩いて向
かう途中に、地元の書家による万葉8
首などの26首が飾られ、川沿いには桜、
入り江の洲から洲への架け橋には歌枕と
なった真間の継ぎ橋があり、
手児奈霊神堂があります。

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丁度良い見所を迎えていた藤の横にはそ
の真間の入り江の名残を止める池があり、
蓮が生い茂っています。そこから5分く
らいの所に彼女が清水を汲んだ真間の井
がある亀井院があり、事件の後どん底時
代を章子と一月半、北原白秋は過ごして
います。

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大門道りの先となった所には、東大寺の
大仏建設に尽力した行儀菩薩の救法寺を
七堂伽藍にして弘法大師が再建した改称
した弘法寺(ぐほうじ)があります。
仁王門は運慶作と、真間山と書かれた額
は弘法大師の真筆と伝わります。

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山門に至る長い63段の石段の一つに涙石
があり、これは日光東照宮の造営の為の
はずだった石で、お告げを信じ、流用に
問われて、この石段の上で割腹し果てた
涙でいつも濡れているというものです。
弘法寺ではしだれ桜や古墳、市川の市街
を一望することもできます。

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そこから学園街の中の千葉商科大を横に
見ながら、明治の終わりから大正にかけ
て貴族議員であった木内重四郎により造
られた、近代建築様式として歴史的価値
の高い木内ギャラリーがあります。洋館
は市川市に寄贈され一般に展示会や音楽
会を催すように平成16年から公開されて
います。

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そこからしばらく東の方向へ向かい
著名な文学者・政治家の中国人、日本
に留学しその後、昭和3年から8年あま
り亡命生活を須和田などで送っていた
郭沫若(かくまつじゃく)の旧邸を移
設した郭沫若記念館があります。入り
口から庭には赤や白、ピンクの芝桜が
辺り一面、通路を挟み咲いていました。

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引き返してきて最後に、庭園だけの見
学は無料な芳澤ガーデンギャラリー
寄りました。芝や樹木も植えられたな
だらかな坂の庭に咲く、藤の花の仕立
て方が可愛くなっていました。

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花の名前わからないと言っていて、
紫蘭の様な葉っぱで薄紫のベルフラワ
ーの様な花、聞いて来て貰ったのです
が、書いて記録に残しておかないとだ
めでした。耳にたこができるぐらいに
とまでなくても、きっちりはっきりと
言って、顔は赤くなるのも覚悟して。

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