少年と少女が金魚鉢の中の2匹の金魚を
じっと見つめています。全体的に暗い
部屋の中で、あたかも金魚鉢から光り
が発し、顔を赤く照らしている様です。
バルテュス
(バルタザール・クロソフキー)
はポーランド人の父と画家の母のもと
1908年にパリで生まれました。
アジアに対する早熟な情熱が
強く見られ、両親が別居したあと
母の恋人であった詩人リルケは
彼の中国風な絵画の中に
才能を見いだしています。
ーーー
今回のブログは、
バルテュス展 Retrospecitve Balthus
東京都美術館と京都市美術館
で先日まで行われました。
45歳で落ち着くようになるまで、
フランス、ドイツ、スイスの各地を
転々としていました。第二次世界大戦
の時には動員され、負傷してしまい
ました。
生まれながらの、コスモポリタンと
して創作しています。他者や異なる
文化に開かれた画家でした。
バルテュスが最初に神秘的なものの
表現を始めたのが、彼が24歳の時
『嵐が丘』の挿絵の制作をするよう
になった時です。当時外交官の婚約者
がいた名家の娘アントワネットとの
恋いに苦しんでいた貧しい青年画家
バルテュスは、孤児ヒースクリフと
令嬢キャシーに自身と彼女を投影
しています。
20世紀の抽象画の登場により、具象
絵画を描くことが困難な時代、そして
"絵画の終焉"が幾度も叫ばれた時代に、
敢えて具象絵画に誠実さと真摯さで挑
み続けました。それが"20世紀最後の
巨匠"とも呼ばれた所以であるだろうと
いうことです。
初期には金銭的にも恵まれず、人知れず
官能的で神秘的な女性を描いています。
バルテュスは、精神を物質から引き離す
知識人を強く批判し、そうした知識人
たちを飛び上がらせ、スキャンダルを
起こすことができるのは、芸術における
エロティシズムしかないとしています。
夫人をモデルにローマで制作した最初
の大作"トルコ風の部屋"のための鉛筆と
習作です。
こちらも、
バルテュスが1962年に初来日した際に
当時20歳の大学生であった節子、
後にバルテュスの伴侶となる
出田節子を描いたもので、一番
最初のものです。
ローマのアカデミー・ド・フランス
の館長職の任期を終えたあと、彼女
とスイスのグラン・シャレに居を
定め、92まで画業に捧げました。
コスモポリタンが描く人
No TrackBacks
TrackBack URL: http://www.melotone.net/sfjournal/mt-tb.cgi/73