心身ともに歩いて

宿からずっと歩いてきて、第一番の
お寺まできました。朝になって三十四
箇所の巡礼の最初の何カ所かを廻る
ことになったとき、お寺とお寺の間は
近いものだと思っていました。
今までのものを足に履いていて、何日
か前に購入した新しい靴でかったのは
幸いでした。

第一番 四萬部寺(しまぶじ)

ありがたや ひとまきならぬ のりの
はな かずはしまぶの てらのいにしえ

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戦後織物工場を改装した和銅鉱泉の温泉宿
が出発点や途中にあります。ここ秩父
708年自然銅が発見され、日本最初の流通
通貨となる和同開珎が発行されました。

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四萬部寺では毎年八月二十四日に大施餓
鬼会が行われ、当日は大変な賑わいと
いうことです。ここの一番で巡礼に必要
なものは準備されています。

第二番 真福寺(しんぷくじ)

そこから来た車の通る道路の方に戻り、
交差し、ずっと歩きました。道は
登りに差し掛かり、そのあとずっと
登ってもずっとさらに山の上の方に
登っていきました。

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一番をあとにしてから標高六百六十五
メートルの高篠山の中腹にあり、山道
を四十分程。汗にまみれながら登れば
ありがたい観音さまと同行二人になると
ありました。

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開基の大棚禅師が老後鬼丸という岩屋に
こもっているとき、一人の老婆が帰依し、
過去をざんげして竹杖をおいて立ち去り
ました。あわれんだ禅師はその供養のた
めに堂宇を建立したのがお寺のはじまり
です。

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少し佇んだのち、道を三番の方へ下る
途中、岩棚のキンモクセイがあります。
通常は樹高4~5メートルと言われる木
ですが、幹回り2.1m、樹高約10m、
枝張り12.5m、樹齢500年以上です。

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納経所・光明寺

山の上のお寺は、人が住んでいる訳でなく、
二番の納経所は光明寺となっています。
私は全国の歩いてのお寺回りで何か記念・
記録を。ということではなかったの
ですが、お守りを各所で買うと大変な数
になるのでということで、朱印を集めて
いられました。自分が辿った足跡を記録
として残しておけるといいかもしれません。

第三番 常泉寺(じょうせんじ)

ここからは山登りは終わって、起伏は激し
くかったのですが、1→2 2.1㎞, 2→3
2.5㎞, 3→4 1.4㎞, 4→5 1.3㎞,
+宿からと西武秩父駅までと、普段は
歩いても一時間くらいが普通なので、何時間
も歩いて廻った記憶はなかったです。

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歩いていて白壁の家の手前を右に折れると
田園が広がり、その向こうに常泉寺が建っ
ています。ここには高さ97㎝の前立本尊
聖観世音が安置されています。ふっくらと
した肉髻(髪を頂き束ねたところ)や螺髪
(仏の頭髪のちじれて螺状をしたところ)
に宝冠をおおっており、それが柔和な顔立
ちを一層ひきたたせています。

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秩父の始まりは、高麗より到来した人々に
よるとか、秩父の祖神・知々夫命がこの地
を開いたときからといわれますが、知々夫
絹(千々夫絹)と言われた白絹など織物の
産地として名を古くから知られます。

第四番 金昌寺(きんしょうじ)

仁王門の上から、六角堂、本堂と山の傾斜に
沿って、中ぐらいか小さい仏像がいっぱいの
お寺です。千三百十九躰といわれています。
本堂に安置されている99㎝あまりある本尊の
十一面観世音が娘の巡礼になり、悪人の荒木丹
下という男を改心させ仏道に帰依させたこと
が知られています。

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本堂の前には子育観音が安置されています。
この子育観音をマリア観音とよぶ人もいます。
1638年の島原の乱以来、キリシタン信仰は
禁止されて信者は、役人の目をごまかすため
に中国から渡来した白磁や青銅の白衣観音像
に童子を抱かせ礼拝の対象としましたが、仏
教徒は逆にこのマリア観音を取り込み、本来
の観音像に童子を抱かせ、信仰の対象とする
ようになりました。

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第五番 長興寺(ちょうこうじ) 語歌堂

長興寺の観音堂は通称、語歌堂とも呼ばれて
います。この御堂を旅人が訪ねてきて、風流
人の孫八と徹夜で和歌の奥義を論じ、夜明け
と共にいなくなったのが、聖徳太子の化身と
分かり、語歌堂と名付けました。

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そこを折れて進むと簡素な山門があり、横瀬
人形芝居が演じられる長興寺本堂と地蔵堂が
あります。

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歩きながら考えること。山を登ったり下ったり
何時間も疲れてきて歩きながら考えること。
心身ともに公害におかされ、欲望や、
観念の世界にとらわれ、苦しみ悩んでいること
やまた、我執にとらわれず、こだわりをすてる
ことは、苦しみや悩みをなくし、人生に広い
世界がひらけると。今まであまり気づかなかっ
たけれど、こういうことが仏教的な一つのこと
であるかもしれないということはありました。
他のことも考えましたが、巡礼を歩いている
人はどういうことを考えているのだろう、
自分と同じことを考えたりしているんだろうか
など、考えたことでした。

歩くのは帰りの駅までまだ続きました。14年の
夜祭りなどまだ書いていなくて、話が長くなり
ますので、また後にも続けたいと考えています。

第十番 大慈寺(だいじじ)

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第十一番 常楽寺(じょうらくじ)

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道の途中

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