佐原にあった江戸優りの面影

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お祭りでない日の佐原は、香取街道や、
小野川を挟んだ両岸に商家が立ち並び、
江戸優りと言われた面影を現在も残し
ています。

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『利根川図志』には「佐原は下利根第一
繁盛の地なり、村の中程に川有りて、新
宿本町の間に橋を架す、米穀諸荷物の揚
げ下げ、旅人の船、川口より此所まで先
をあらそひ、両岸の狭きをうらみ、誠に
水陸往来の群衆、昼夜止む時なし」とあ
り、佐原は、この地方の経済・文化の中
心として栄え、その繁栄を支えていたの
がここ小野川でした。

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昔の千葉県民(生まれ)の代表的人物に、
日蓮伊能忠敬などがいます。

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佐原といえば、全国を測量して歩き、ほ
ぼ正確な地図を作った伊能忠敬を思い浮
かべます。彼は、長澤家と一二を争う商
家の伊能家に18で婿養子に入り、50
才で家を長男に譲るまり隠居するまで、
32年、伊能家の商業・農業活動や佐原
村の名主・村方後見として尽力します。

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天明三年の浅間山の噴火、天明六年にこ
の地方で起こった大洪水と疫病の流行で、
米価の高騰による農民の窮乏は悲惨なも
のでした。上方筋から、かなり危険を犯
し米などを買い入れ、格安で与えるなど、
私財を投じ窮民の救済に全力を傾けまし
た。

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小野川にジャージャー橋が掛かる少し先
に、伊能忠敬旧邸があります。川の対岸
には、伊能忠敬記念館があります。

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当日はどちらとも、グループでしたので、
興味のままにじっくりと見れる時間が限
られていました。この地図の辺りは、独
自の名産品を作ったり、日本にしかほぼ
無い生産施設があるところの九州の地図
だと思います。当日写したのが、撮影禁
止かどうかもありますが、あまりなく、
少しこのブログまでに間が開いてしまい
ました。全国の地図で現在私たちが目に
するのと違うと思ったところは、四国ま
での海峡の距離ぐらいだったと思います。

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伊能忠敬さんは50を過ぎてそのあと勉
強をし、日本史に残る偉業を行った、中
高年の星であるとも(の様な感じで)、
新しい伊能忠敬川村 優 崙書房出
の本に書かれていました。当時の平均
寿命は今よりも短いですが、今でも新し
いことや厳しい毎日現実に向き合わない
と、若くいられないというか、老けるの
早いんじゃないかと思います。

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佐原の大祭水生植物園の蓮を、私のブロ
グ以前で書いているので今回は、町並みと、
伊能忠敬から視点で記事となっています。
佐原の町並みは、旧三菱銀行佐原支店や
与倉屋大土蔵などその他多く建造物があり、
まちぐるみ博物館としても楽しめます。

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小江戸佐原を舟めぐりで散策できるのです
が、そこにある「だし」とは最初何か分か
りませんでした。山車、出汁、大阪のお城
の人の名、が知っていたところです。お祭
りとか人が出て見ると、今日載せた魅力あ
る人に限らず人生があって、何かに替わる
とかでない、そういうものにまた出会うよ
うに出かけたいです。

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