壬生狂言と新選組誕生

すべての演者が仮面をつけ、一切「せりふ」
を用いず無言で、かね・太鼓・笛の囃子に
合わせ演じられる所に、一般の能狂言と異
なる、壬生狂言(みぶきょうげん)の形があり
ます。

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娯楽的でありながら、勧善懲悪、因果応報の
理を教える宗教劇としての性格を今日まで残
しています。

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以前、京都にいた時には、歩いてこれる所で
もあったのですが、今回が初めての壬生狂言
の鑑賞でした。

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秋の公開とその当日チケットの為に並ぶこと
を教えてもらい朝、とても早くからでないで
すが、朝食を早めに取り、電車と歩きでやっ
てきました。この時間15名程既に並んでい
たのですが、壬生寺八木家住宅の見学へ廻
りました。抹茶、屯所餅付きです。

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八木家は、新選組が結成された家で、壬生屯所
遺蹟となっています。1963年春、14代将軍家茂
上洛の警護に伴い上洛した浪士隊は、ここに宿
所を求めますが、間もなく江戸に呼びも出さる
命が下ります。

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芹沢鴨近藤勇土方歳三沖田総司ら13名
は京に残り、京都守護職松平容保のお預かりと
する形で新選組が結成されます。

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また、文久3年9月18日どしゃ降りの深夜の舞台
です。芹澤鴨、平山五郎ら4人が斬殺され、
現在も鴨居に刀傷が残り、その凄惨さを物語っ
ています。

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壬生寺の境内東方にある池の中の島は、壬生塚
と呼ばれ、新選組隊士の墓などがあります。
また、新選組が相撲興行を企画したり、隊士
が壬生狂言を観賞したという逸話が残っていま
す。

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午後からは、奥のスロープの様な所に設置して
ある長椅子に座り、混んでいる中での壬生狂言
の鑑賞でした。

(秋の特別公開三日目最終日)

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・炮烙割り(ほうらくわり)

壬生狂言の公開中、毎日の序曲として演じられて
います。新しい市場を開こうとして、一番に
店を出した者には税金を一切免除するという
奨励の立て札を、目代(役人)が立てます。
焙烙を全部割ってしまう。実際に舞台の手すり
の上に重ねて、劇で全て下まで全て落として割
ってしまいました。

・大原女(おおはらめ)

母親を見間違えてしまいます。

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・賽の河原(さいのかわら)

壬生寺の本尊である地蔵菩薩が、いかに慈悲
深いかを表した狂言です。震える餓鬼の舌を
抜くのにペンチか火箸のようなものが背中に
忍ばせてあり、釜ゆでの湯が沸いています。

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・土蜘蛛(つちぐも)

源頼光をよなよな悩ませている土蜘蛛。家来の
渡辺綱と平井保昌が退治する狂言です。最後に
土蜘蛛はものすごくたくさんの糸をまいて倒れ
ます。客席にも飛んできて持って帰ると、ご利
益になるとのことでした。夜は静かにしてくれ
ると助かります。

・橋弁慶(はしべんけい)

以前、松原通りにあった五条大橋での、有名な
牛若丸が千本の太刀を奪う話と、武蔵坊弁慶と
の出会いです。

・棒振(ぼうふり)

春、秋の狂言公演の最終日(この当日)、最後の
演目となる狂言です。この棒振りだけは覆面と
赭熊をするだけで仮面を付けず、囃子もかねだ
けで、太鼓と笛は入りません。はやし言葉が入
ります。大念仏講全員が素面で舞台に並んで扇子
を持ち、かねに合せて「チョウ、ハ、サッサイ」
と棒振をはやします。

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※八木家住宅内、壬生狂言は撮影が禁止でした
ので、今回掲載したものは写せる範囲の写真と
絵葉書などです。

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