美しきシモネッタの肖像

イタリアのルネサンス期を代表する画家と
して活躍し、芸術の歴史を通しても賞賛され
世に認められるサンドロ・ボッティチェリは、
1445年頃、皮なめし業を営んでいた両親の
もと4男として、フィレンツェの湖畔で生
まれました。

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サンドロ・ボッティチェリ
胸に手をあてた若い男の肖像

彼の一番上の兄が大食いの大酒飲みであっ
たため、小さな樽(ボッティチェロ)と
あだ名され、そこからサンドロは、
ボッティチェロないしはボッティチェリと
呼ばれました。

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ラーマ家の東方三博士の礼拝

「ボッティチェリ展」 
Botticelli e il suo tempo  (2016 ~4.3)

東京都美術館  では、
ボッティチェリ本人の作品も数多く来日し、
同僚でライバルとしてのフィリッピーノや
その世代の作品も数多く共に展示されました。

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フィリッポ・リッピ
ヴェールをかぶった女性頭部の習作

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フィリッピーノ・リッピ
聖母子、洗礼者聖ヨハネと天使たち

フィリッピーノ・リッピは彼(ボッティチェリ)
の師匠フィリッポの息子でもあります。
フィリッポが修道女であったルクレツィア
を誘惑して自宅に連れ去り、妹や尼僧達と
一緒に暮らすこととなりました。匿名の
告発があり、フィリッポは全ての聖職禄
を剥奪されますが、ルクレツィアと暮ら
すことは許され、母となりました。

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バラ園の聖母

この作品はボッティチェリがフィリッポ
の強い影響力から脱しつつあった時代の作品
で、商業裁判所などが入居していた
商工会議所から美術館へ移されたものです。
後に商業裁判所の為に制作した美徳の
擬人像<剛毅>へつながるものと考えられます。

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フィレンツェの時代背景としては、銀行家
コジモ・デ・メディチが帰還し、メディチ家
フィレンツェの実権を掌握して政治的手腕
を振るい、彼は偉大者(イル・マニフィコ)
と称されました。
その孫に当たるロレンツォ・デ・メディチ
また文芸や美術を奨励しました。フィレンツェ
をルネサンスの中心地として確立するのに貢献。
豪華王と呼ばれます。
当時のフィレンツェ共和国を実質的に統治して
いた彼のもとで、ルネサンス文化は最盛期を
迎えました。

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こちらは、ロレンツィオをかたどった胸像で、
ミケランジェロの好敵手で、イングランドへ
ルネサンス美術をもたらした彫刻家
ピアトロ・トッリジャーニ作です。
負傷した喉に包帯を巻いて家の窓に現れ、願い
どおり生きていればひと目見ようと、死んで
いれば復讐しようと待ち受けていた群衆に姿を
見せたときに着ていた服を身に付けています。

パッツィ家の陰謀事件により彼の弟の
ジュリアーノは殺害されています。

伝記で語られている有名な事件から
によるものと伝えられています。


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これを機に、ロレンツォは各勢力が乱立する
イタリアのバランサーとして、大いにその
外交手腕を発揮し、フィレンツェ社会も総
じて安定していました。

ボッティチェリの生きていた時代はその後、
フランス王シャルル8世の入城があり、
社会の腐敗やメディチ家支配を批判する説教を
行うサヴォナローラの神政権の開始。
ピエロ・ソデリーニの終身行政長官の時代と
なります。

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展覧会を現場で見た時の感想は、レベルが
高いしすごい感じでしたし、描く対象がこう
ですと、私(達)が頑張ってもなかなかここ
まで達することは、生きている間には辿り
けなそうと感じました。私もたまに描きます
がまだそれ程難しくないものや対象ではあ
ります。また今の生きている人のほうが押し
並べて、うまくないかもしれません。

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画集を見ながら少し読んで、調べてブログを
書いていますが、小さい絵だと
どうしても展示を見ての気持ちの動かされ方
よりもまた小さいので、改めて見に行けたら
と思います。

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