神社とお寺の参道に跳ねる大粒の雨。
雨が降ってきて、急に強くなって来た
時の、知らない街での過ごし方、という
のも、カフェに入ってみたり、アーケ
ード沿いでお買い物をしてみたり。
海外と国内であまり今までは詳しくな
かった場所にも、様々な程度などあり
ます。
冬の雨に濡れてしまうのもとても寒い
ですが、夏の台風の雨風も強烈で各地
で農作物にも多く被害が出てしまうと
大変と思います。雨模様の東大寺の時
に続くブログで、更に雨脚が急に強く
なってきました。
この時には、屋根のついたバス停で雨
宿り。そこにいて2本目に留まった市
内を循環するバスに、乗るかどうか迷
っていましたが、何となく大丈夫そう
だったので、発車間際飛び乗りました。
前日、近鉄奈良駅に着いてから、夕方
の日没前に歩いて、夕食を食べた、
ならまち、へ行こうと思い乗車しまし
た。バスの一番後ろの座席まで行き座
っていると、前に3人の女性が、ゲー
ムセンターで遊んでいる模様を撮った
自分たちの動画を見ていました。1人
がメロンパンを食べていて聞いてみる
と、皮の甘いところが美味しく気に入
っていてと言っていました。
近鉄の駅で大阪に向かうということで、
彼女たちは間もなく降りるタイミング
でしたが、LAから旅行に来ているとい
うことでした。バスはJR奈良駅の方ま
で次に向かい、地元の日本人女性の方
に聞いてみると、田中町というところ
までバスが回っていくので、そちらが
ならまちへは近いと教えてもらいました。
ならまちは、元興寺(がんごうじ)
の境内に職人たちが住み着いたのが始
まりで、江戸時代には商人たちで賑わ
ったという風情ある町並みということ
です。先程まで強かった雨上がりを、
バスを降り歩いて散策を開始しました。
この付近は、奈良時代(8世紀)、
元興寺の金堂や塔、南大門など主要な
伽藍があった地域と推定されています。
中世以降、奈良の街の発展にともない、
自地の大半は宅地化されました。
元興寺は元々、蘇我家の菩提寺として
聖徳太子とともに物部守屋を打った
蘇我馬子によって、飛鳥の地に法興寺
として建てられました。
蘇我氏は入鹿の時に、大化の改新の
(後の)天智天皇と藤原鎌足のクーデター
が起こりました。
平城遷都にともない、蘇我氏寺から
官大寺に新設移転され元興寺になりま
した。
奈良時代の元興寺は東大寺4千町歩に次ぐ
2千町歩と、興福寺や法隆寺やその他を
凌ぐ位置にあったお寺でした。
敷地内を一周しました。極楽坊本堂は、
往生人智光、礼光両法師の禅室として
知られ、百日念仏講衆の往生極楽院と
して極楽堂、また智光法師感得の
浄土曼荼羅祀られたので曼荼羅堂とも
呼ばれました。
平安時代末期に至る情勢の中で庶民と言
われた人が中心となってお寺を支えます。
地蔵信仰、聖徳太子信仰、弘法大師信仰
などが渾然一体となり群衆を集めました。
半日がかりでしたので、格子の家やお茶
を一服しながらの資料館や書院などの回
れないところ多くありました。ゆっくり
ぶらぶらとして帰る道歩いていると、地
元の高校生が鹿と写真を撮っていました。
普段から鹿がいそうに思いましたが、卒
業時期だと行く方向もあり若く、これから
進む方向が多岐でも、また奈良に来れる
と感じました。
大粒の雨が止んでまちを歩く
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