車に乗って通っていると、あちらこちら、ところどころに何々 城と標識があります。沖縄島も1つであったのではなく、南山、中山、北山の3つに分かれていた14世紀頃は三山鼎立の時代でした。中国との間では貿易が行われ、琉球国北山王の怕尼芝(はにじ)・珉(みん)・攀安知(はんあんち)の三王が、中国の史書明実録に登場します。北山の時代、天険の地に百曲がりの城壁を持つ今帰仁城(なきじんぐすく)が築き上げられます。しかし1416年に中山の尚巴志によって北山は滅ぼされしまいます。その後、北山監守が派遣されています。統一後、南山が治めた地域には、監守は置いておらず、こちら北山は第二監守七世従憲が首里に引き揚げた1665年まで監守時代が続きます。1609年には薩摩軍の琉球侵攻で、今帰仁城は炎上したとされています。現在は、世界遺産として登録されています。到着する前、午前中は海から上がっていたのでシャワーを浴び、シャ...
Continue reading 陽の光が跳ねる石垣が続く.