鎌ケ谷の大地で耕す

明治時代に入ると武士を辞めた人、東京に
上京して来た多くの人がいましたが、その中
にも多くが食にあぶれてしまっていました。新
しい土地を開墾するという政府の方針のもと、
江戸時代には牧場として使われていた鎌ケ谷
に新たに入植者が移り住んできます。

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千葉県の開墾地には入植順によって、番号
の付く地名が付けられています。
初富(鎌ヶ谷市)、二和(船橋市)、
美咲(船橋市)、豊四季(柏市)、
五香(松戸市)、六実(松戸市)、、、、、
十余一(白井市)、十余二(柏市)、、、

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鎌ケ谷市郷土資料館

今回訪れたのは最初に入植が始まった
鎌ヶ谷市の初富。残りは近隣の市の
入植地を列挙しました。

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農業を始めるというのも、思う以上に大変なこと。
鎌ヶ谷のこの辺り一帯は大地が広がっています。
手賀沼や印旛沼などの湿地帯は江戸時代に
開拓されて水田が広がっています。その時代
には農業としてはあまり手が付けられていない
残りの土地に、しかも今まで農業をしていな
かった人たちが移り住んできたので、土地を
くれるといっても容易ではなかったことが想像
されます。

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粟野庚申塔群

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豊作稲荷神社

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八坂神社

明治2年に始まった初富への開墾は、新政府
から20両の出資を受けた三井八郎右衛門
(後の三井財閥)、加太八兵衛(呉服問屋)、
大村五左衛門(麻・船具問屋)、湯浅七兵衛
ら豪商135人の開墾会社が担当しました。

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入植者へは、①3か年の衣食住の面倒を見る 
②13歳から60歳までの働ける者には、1人に
つき五反五畝(約55アール)を割り当てる 
③百姓ができなくても屋敷地として五畝
(約5アール)を割り当てる ④開墾する者には
1日1人米五合、5歳から13歳までは二・五合、
4歳以下には二合を渡す ⑤病人には食物
と薬を与える ⑥最初から自分で生活できる者
は、最初から地主となる ⑦婦女子と体の
弱い者には別の仕事を与える

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ところが、開墾は思うように進まず、当初より
余計にかかった20数万両の返済を、政府
に対して開墾会社は求めます。様々な出費
が要り財政が苦しい政府は、その費用は
土地を譲り渡すことで返済します。地券の
すべてを開墾会社に払い下げ渡してしまいます。

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土地記念講碑 光圓寺

その結果、地券のない開墾人たちは
小作人となってしまいます。抗議し警察に
連行され、内務卿大久保邸の前に座り込む
事件が起こります。しかし小作証文の取り
消し訴訟は敗訴してしまいます。

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初富は、江戸時代には軍馬を安定的に
供給する下総小金中野牧でした。馬は牧内
に放され半野生状態で飼われていました。
何か所かに捕込があり年に1度馬を集めて
野馬捕をします。勢子土手と呼ばれる
高く盛り上がった土地があり、そこに囲まれた
窪地に馬を追い込みます。

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国史跡 下総小金中野牧跡

その野間捕の勇壮な様子を見ようと江戸
からも多くの見物客が訪れ、成田名所図会
などに描かれる年中行事となっていました。
松尾芭蕉の鹿島紀行の中に「・・やはた
(八幡)と云う里を過れば、かまかいが原
と云うひろき野あり」とあります。

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人口が百万を超えた江戸では東京湾の
供給だけでは間に合わなくなり、銚子沖で
獲れた魚貝類を江戸に運びます。そのため
に整備された街道が木下街道で、水揚げ
された魚貝類は舟で利根川を遡り木下河岸
で馬に積み替えられ陸路で運ばれます。
その途中に鎌ケ谷宿があり、高さ1.8mの
鎌ヶ谷大仏があります。安永5年(1776)に
鎌ケ谷宿の大国屋文右衛門が作らせた
釈迦如来像です。

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初富稲荷神社

明治時代に入り、人や物の輸送手段が、
馬から蒸気へと変わります。鉄道建設は
東葛地方でも進められ明治27年
には総武鉄道(現JR総武線)、明治29年
(1896)には日本鉄道(現JR常磐線)が開通
します。明治42年になると
鎌ヶ谷~中山~行徳に東葛人車鉄道
株式会社ができますが、あまり利益が
上がらず大正7年に廃止となってしまい
ました。

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大正11年に野田~柏を走る
県営軽便鉄道、しょうゆの輸送でこちらは
利益を上げていますが、北総鉄道に払い
下げられることになります。その際に
柏~初富~船橋の区間で延長工事が
行われました。

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現在の鎌ヶ谷は東武アーバンパークライン
と成田スカイアクセス線、新京成線、
北総線が通り都心近郊のベットタウンの街
として発展しています。
秋には梨狩りなど果物の生産が盛んに
行われ、春から秋には北海道日本ハム
ファイターズの拠点となっている
ファイターズ鎌ケ谷タウンで試合が行われ、
近隣以外からの来園者も増えています。

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