毘沙門

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雨降りの午前中は高田本町商店街の
アーケードのお店を見ながら歩いていました。
正午より前、雨が上がり、出発時間が当初の
予定より大夫遅くなってしまいましたが、
春日山城址へと向かいました。

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前回訪れた時には坂を車で登り、春日山神社
のお土産店と鳥居があるところに車を駐車
しています。春日山神社は謙信公を祭主
とし、旧高田藩主の小川澄清が明治34年
(1901年)に創建したとありますので比較的
最近のことの様です。その長男が日本児童
文学・日本のアンデルセンの父と呼ばれた
小川未明、本名、小川健作。

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お城へ向かったこの日、坂を上る前の道路
の左側に大手道の標識が目に入りました。
すぐ奥に無料の駐車スペースがあったので、
できるだけ木陰に駐車しました。訪れた暑い
時期です。

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水田が広がる田園風景の一番山の端にある
自然と、人の手入れとが入り混じった風景。
ここから、お城まで徒歩で所要時間は約1
時間と書かれていますが、登っていきます。

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道は人がハイキングできる様に整備されいて、
登るのはそれほどきつくはないと思います。
3月から4月にはカタクリの群生、5月には
カキツバタが見られます。

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目指す本丸は標高が182mあります。山頂の
本丸跡から山裾まで謙信時代までの多数の
曲輪や連続する重臣たちの館跡が裾野に
巡らされ、総延長1200mの総構えとなって
いました。

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上杉謙信は、時の関白近衛前嗣と親交が
深く、2度の上洛の際、五奈良天皇、
正親町天皇に拝謁しています。前嗣は
1560年に上杉謙信を頼って、当時繁栄を
極めた越後府中(直江津)に下向し、3年間
滞在しています。姉崎屋敷から本丸へと
続いている前嗣が通った道は、御成街道と
呼ばれています。

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山の高いところにある井戸にも関わらず、
水不足の時に枯れたこともなく、籠城戦を
するためにも重要と思われます。地下に
流れる水の流れを知り、ピンポイントで
井戸を掘る当時の技術は、すごく進んで
いたと思います。

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大手道のルートから本丸・天守台まで
登ってきました。

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天守閣は築かれた当初からなかった
という見方の様です。山城なので、
自然の地の利を生かしています。

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直江津(越後府中)と周辺の山々や日本海
を一望できます。慶長二年(1597)に描か
れた"越後国絵図"の村落や林の風景は、
現在の様子とほとんど変わらないという
ことですので、様子を比べてみたいです。

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そこから坂を少し下っていくと毘沙門堂が
あります。謙信が出陣前に先勝祈願を
したところで、"毘"の字は合戦の旗印に
使われています。手紙の最期の署名
(花押)に崩した"毘"の文字でサインして
いました。

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直江屋敷

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林泉寺宝物館に扁額や謙信公の書簡、大河
ドラマ天地人の資料、などが展示されています。
ここはだいぶ歩いたので、駐車場まで一度
下ってから移動します。

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上杉謙信の祖父、越後守護代長尾能景が
亡父の17回忌供養のため曇英恵応を開山
に拝招して、1497年に曹洞宗のお寺として、
林泉寺は創建されました。

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父為景の末子・虎千代(謙信)は7歳で
林泉寺に預けられ、天室光育(林泉寺の六世住)
から元服する14歳まで学問を習います。

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長尾氏、上杉氏、会津・米沢移封後も、
堀氏、松平氏、榊原氏の庇護を受け
菩提寺として栄えます。

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この第一義の扁額は謙信(直筆は宝物館で
保管)が書いたもので、その大胆さにあって
バランスの取れた字は見事なものでした。

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