ブロック長

ご挨拶

この度、大西英幸先輩の御命令により、立命館大学千葉県校友会の東葛ブロック長を引き継ぐことになりました徳岡文明と申します。
大西先輩はじめ代々のブロック長が一生懸命育てられてきた東葛ブロックを引き継ぐことに対しては非常にためらいがありましたが、大西先輩から“自分の思い通りにやったら良いから・・”との言葉を頂き踏ん切りがつき、本令和2年1月度より務めさせて頂くことになりました。現在64歳の“若輩者?”ですが、どうか諸先輩方のご指導・ご鞭撻、ご協力を頂きながら頑張りたいと思っております。
さて私目、昭和53年に大学を卒業して東京の永代橋の西詰にある大豊建設㈱というゼネコンに就職いたしました。この会社には立命館大学からは昭和46年理工・土木卒の田村正雄さんという方以来入社しておらず、私が久しぶりの入社でした。私以降は毎年のように一人か二人が入社するようになったとのことで、就職担当の教授が喜んでくれたこと覚えています。
私は京都でのんびり育ったせいか大学のランクとか評判とかにあまり興味が無かったのですが、第一希望の大手プラント会社からは“東大、京大以外からは採用しない!”と書類審査以前の段階ではじかれ、慌てて先生に推薦して貰った大豊建設㈱では会社訪問時に秘書課の女性(本間幸子さん)から“京都大学ですか?”と言われ、その時に初めて立命館大学の実情を思い知らされました。やはり今から40数年前の、しかも東京という背景があったとしても、やはり立命館の知名度や評価というものを始めて実感しました。幸いにも当時の大豊建設㈱には、松田三徳(かずのり:昭和22年立命館専門学校卒)という方が常務取締役に、また佐々木禮三(昭和23年立命館専門学校卒)という方が取締役土木本部長として在籍されており、私の所属する土木本部技術開発部が本社の同じ階にあったことから、入社早々にこのお二人からお声をかけて頂き、その後も何かと眼を掛けて(エコヒイキ含む)頂きました。しかしながら、通常は社内・社外ともに私の周りには立命館大学出身者は皆無で、6年後に前田建設工業㈱という会社を訪問した時に一人(お名前は忘れましたが)だけお会いしただけでした。
このような中で、東京での立命館大学の知名度の低さを痛感したわけですが、反面強く立命館大学を母校として認識するようになりました。“きっかけ“としては、早稲田大学と慶應義塾大学の存在で、特に慶應義塾大学の組織力の強さと校友会組織の三田会の結束力や後輩に対する面倒見の良さを知るに及び、以来立命館大学も見習うべきと思っておりました。卒業数年後に京都の私学会館で卒業研究(小林絋士教授)のOB会があり、全国から約100人ほどが集まった壇上の挨拶で、東京での立命館大学の現状や慶応義塾大学の三田会のことを紹介しながら「我々OB・OGは、会社や取引先の立命館大学出身者を大いにエコヒイキするべきである! 後輩たちがライバルに対して大きく劣っていたらまあ仕方がないとして、同じくらいか又は少々劣っている程度だったら無条件、もしかなり劣っていたとしたら何とかして良いところを探してやって、昇進や取引にエコヒイキするべきだ! そうする義務と責任がある!」とあいさつしたことがあります。
このような方針で東葛ブロックを運営していきたいと思います。
最後に立命館大学のOB・OGの皆様に以下のことをお願いしたいと思います。
どうかいつまでも“立命館大学”ひいては“学校法人立命館”、それと“後輩たち”を愛してください! 皆さんの後輩たちはすごく頑張っていますよ!

 


プロフィール

[名前]

    徳岡 文明

[趣味]
 
[略歴]
1955年(昭和30年) 京都生まれ
1967年(昭和42年) 立命館中学入学
1970年(昭和45年) 立命館高校入学
1974年(昭和49年) 立命館大学理工学部土木工学科入学
1978年(昭和53年)      〃        卒業
1978年(昭和53年) 大豊建設㈱入社
1987年(昭和62年) トーメンコンストラクション㈱入社
2000年(平成12年) ㈱菱晃入社
2003年(平成15年) ㈱テクノブレインズを設立 現在に至る