近くを流れる川は、松戸市内をずっと辿っていって、矢切で江戸川に注いでいます。坂川と云いますが、名前からすると、坂のように高いところから低いところへ急とイメージがします。でも反対です。もともとの名前が、さかさがわで、洪水の度に、水が江戸川の方から逆流して、水害がひどかったという過去があります。

演歌の矢切の渡し、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」が矢切は有名です。文学碑があります。今までもたびたび訪れていて、この日は一行はあまり文学の方に立ち寄れませんでした。過去の投稿をご覧ください。水上勉も2年くらい、矢切を住居としていました。その間、推理小説「霧と影」を発表しています。

戦国時代にはこの辺り一帯でも大きな戦がありました。国府台城の里見軍1万2千と、江戸城を出発した北条軍2万が激突しています。

江戸川を矢切付近で渡った北条軍は、野菊の墓文学碑付近の矢切大坂で里見軍の反撃に遭います。敗れた北条側は退却したと見せかけます。翌朝未明に江戸川を再び渡って里見軍を夜襲します。戦勝して油断していた里見軍は重臣も打ち取られてしまいます。現在の里見公園(市川市)が国府台城址になります。

坂を下って矢切の渡しまで歩きます。道の横は畑が広がり、特産の矢切ねぎを畑で栽培していました。矢切の渡しは2回ぐらい待って、乗船できました。葛飾側の江戸川河川敷では、自転車がたくさん止めてありました。子供たちがスポーツをしていて、お母さんが応援していました。

葛飾柴又寅さん記念館と山田洋次ミュージアムは、訪れるのが初めてではなくて、こちらもブログでも以前に載せています。

今回の投稿の来訪から時間が経っていますが、その間、「幸福の黄色いハンカチ」の映画を見ました。寅さん役の渥美清さんは、警察役で、眼鏡をしています。山田洋次監督作品です。桃井かおりさんをナンパした武田鉄矢さんのチャラい青年役はいつもとは違ったイメージを見るのが新鮮です。その中で芯には誠心さがあるところがよかったです。高倉健さんの男一匹の孤高の孤独さ、倍賞千恵子さんと出会っての幸せさが出ていました。

山本亭も傍にあります。こちらは、金属プレス加工、冷間鍛造プレスを得意とする株式会社山本工場の社長4代に渡る自宅でした。葛飾区が昭和63年に買い上げ、一般に公開しています。工場は現在、くぬぎ山にあります。矢切と同じ千葉県松戸市です。美しい家具が置いてある部屋から望む、庭が綺麗でした。数寄屋リビング(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)の2019年において、庭園は4位に選ばれています。

柴又帝釈天は誰でも知っているくらい有名なお寺で、東京に何回か訪れたことのある人は大概行っているといった感じです。庭園の邃渓園も見どころですが、今回訪れてみて現代彫刻の分野ですごく有名なことを知りました。横浜の加藤勘造と房総の伊八を中心に制作されています。びっくりすることは、彫られているのが1枚の木をくり抜いていて、出来上がったのを組み合わせたり、接着したりしていないところです。間違って彫ってしまったら、1歩前には戻れない。彫る前に線を引くにしても、三次元立体なので、表面から中には出来ないと思います。出来上がったのが、それなりに動物等の形をしているのではなく、見る人に美術的に美しく提示しています。

medley@
someity@melotone.net