活動報告

催し

嵯峨天皇の愛した黄櫨染

①  黄櫨染とは

黄がかった茶色で、天皇が用いる御袍に染められる染色の色。

中国・唐の時代に、秦の始皇帝の子孫・秦氏より伝えられ、帝王の服色として太陽の色を象徴する赭黄(しゃおう)に倣ったものといわれる。

10世紀の「延喜式」によれば、山櫨の樹皮と蘇芳の芯材を使って染められたことがわかり、櫨染めはやや褐色がかった黄色に染まり、蘇芳はやや黒っぽい赤色に染まるため、仕上がりは鮮烈な日光の色というよりも深くて落ち着いた印象の黄褐色から赤褐色系になる。しかし、黄櫨染は、非常に難易度の高い染色で、熟練工であっても毎回同じ色を染めることは出来ず、安定して色を出すことは不可能とも言われている。また、黄櫨染は日光の下にあるときと灯火の下にあるときとで色調が変わる効果もある。

 

②  黄櫨染御袍とは

平安時代初期の嵯峨天皇は、弘仁11年(820年)に詔により朔日や聴政、

外国からの施設を受ける際や奉幣、節会に際して天皇の着用する服を「黄櫨染衣」と定めた。なお、同時に神事や冬季の諸陵奉幣には帛衣、元日の朝賀には袞冕十二章をきることとした。

黄櫨染の御袍が天皇の服となったことにより、黄櫨染は天皇以外には着用で

きない禁色となったと考えられている。

 その後、現在まで継続して天皇の服として用いられているが、朝廷の儀式の変容等に伴い、時代により着用場面の多寡は様々であった。

 現在最古の第105代後奈良天皇の御袍は、広隆寺に現存している。

③  黄櫨染使用作品

現在、黄櫨染は、ひな人形の衣装、扇子などとしてとして一般に販売されている。


④  京すずめ文化観光研究所

私が、今回の黄櫨染に出会うキッカケとなりましたのは、京すずめ文化観光研究所が今年5月12日に主催した「京都愛物語Ⅲ」第一回京すずめ大学校講義(嵯峨天皇の愛した黄櫨染)が、嵐山祐斉亭で行われ、それに参加したことによります。

「京すずめ文化観光研究所」は、2001年~2017年まで、暮らしの廻りの文化遺産を発掘し発信する活動、被災地支援行事、2回の「京都への恋文」の公募事業等を行ってきた「京すずめ学校」を更に発信力を強めるため、2018年に再スタートさせました。

「京すずめ文化観光研究所」は、日本人の精神の源流である大自然に感謝する文化や京都に愛着が湧き起こる活動をしています。

千年の知的遺産を生かした京都は、そこにいるだけで心が豊かになり、それがエネルギーに変わる町です。京都の教育の真髄である「見覚え、聞き覚え、見て覚え」といわれる人間力・知識も習得することができます。

「京すずめ文化観光研究所」は、「あなたの知らない京都」をご一緒に探っていくことを目的とした一般社団法人です。

 

議事録

 

2019年06月24日

囲碁大会について

昨日囲碁同好会で春季囲碁大会を行いました。
参加者は10名で、優勝佐藤さん、準優勝三好さん、3位芝田さんという結果です。

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2019年07月02日

朝会 苔の話

先週土曜の朝会、7/20(土)午前中、の議事録です。



前半でそれぞれの方から1か月に起こったことなど一人3、4分程度に発表がありました。今月は阪口さんが欠席ということで辻(久)が議事録をつくることになりました。
会議の半ば過ぎから担当に決まりましたので、個人の報告は記録できていない状況ですので、大部分今回は飛ばすことになってしまっています。

千葉校友会のゴルフ担当、森松さんが東葛に参加でした。ゴルフやそれにまつわるオーナーの話など(同郷の話)がありました。

後半では巨大な苔を観にニュージーランドに行った時の話もありました。



出席者:佐藤(正)、今田、三好、小渕、山田、大西、野口、川崎、西野、川島、川端(俊)、原、高木、柳川、辻(和)、徳岡、渫口、辻(久)、今村、森松

 


西野 弘司 蘚苔類(苔の話)


はじめに

植物は、光合成により成長し、他の植物よりも高く大きくなって、光を得ている。
コケは、逆に小さくなって、生存競争に打ち勝ってきた。倒木や切り株の上、石垣やブロック塀などちょっとしたスペースがあれば、そこで生きていけることが、コケの特徴。
コケは、栄養を吸収する根がないため、土は必ずしも必要ではなく、仮根でいろいろな上に活着出来て育成場所を広げている。
一体一体が小さいが故に環境の変化に弱いため、群生・密集・コロニーを作り生息している。仲間同士が集まり、水分を保ちやすく、雨風にさらされても流されたり飛ばされたりすることもない。子孫を残すために行う生殖では、個体同士が近いので受精しやすい。



コケの起源/生息地

カンブリア紀(5.4億年前-4,8億年前)は、海洋が地球上をほぼ全てを覆い尽くしていたので、陸上生物はいない時代で、生物(三葉虫、貝、藻類など)はすべて海の中に住んでいた。

☆オルドビス紀中期(4.7億年前)-シルル紀(4.4億年前)に、コケ/藻類が湿地や河口等の低地に出現した最初の陸上植物である。

☆コケ植物は、高山の頂上や極地から熱帯まで地球上のあらゆる環境で生活しているが、海水の中には見られない。

☆南北に長い日本列島には、 2 5 0 0種(世界18000種)のコケ植物が生育している。

2019年07月26日

8月の懇親会

1. 開会の挨拶(徳岡氏)
定刻となりましたので8月の懇親会を始めます。本日は初参加、東京校友会の方を含め38名の参加ありがとうございます。今回懇親会の案内を約300名の方に行いましたところ、100名程の方からのご返事がありました。
本日は飲み放題のバイキングスタイルとなっていますので暑気払いをしながら親交を暖めていただきたいと思います。


はじめに大西ブロック長のご挨拶をお願いします。
2.ブロック長挨拶(大西ブロック長)
先ほど船橋で県役員会が行われました。
主な議題は来る9月7日(土)第34回R・立命館千葉県総会「松戸市駅前の聖徳大学10号館(生涯学習社会貢献センター)で13時~17時に開催」の進行計画でした。本日ご出席の校友は総会への参加もお願いします。
3.乾杯の挨拶(佐藤正志氏)
 大西ブロック長、徳岡さん他の努力により、多数の校友の参加の下、盛大に懇親会が行われることとなりました。まだまだ残暑が厳しいと思われますので皆様方の健康と東葛ブロックのますますの発展を祈念しまして乾杯。
4.懇親会(徳岡氏)
 ありがとうございました。ではこれより食事を取りながら周りの方々との親交を深めていただきたいと思います。
5.新規参加者の事故紹介
 では、新規に参加された交友の自己紹介をお願いします。
・越後 力(昭和55年法学部卒)
・児島聖一(昭和46年産業社会学部卒)
・服部日出夫(昭和46年文学部卒)
・小出庄造(昭和43年経済学部卒)
・二階堂元一(昭和43年経営学部卒)
・佐藤基也(昭和40年文学部卒)
5.中締めの挨拶(中里氏)
宴たけなわではありますが、皆さんのご健康と校友会の更なる発展を祈念し関東一本締めにてお開きとします。

 

平成31年8月度「夜の懇親会」議事録
日 時: 令和元年8月24日(日) 17:30~19:30
場 所: グランパークホテル ザ・ルクソー南柏
出席者: 大西、芝田、佐藤(正)、今田、中里、三好、若林、竹田、山田、
川端(啓)、佐藤(勝)、野口、山本(一)佐藤(基)、川崎、森松、大平、小出、二階堂、西野、逸見、川島、児島、服部、川端(俊)、高橋、白井、高木、原、柳川、辻(和)、渫口、徳岡、越後、阿部、辻(久)今村、阪口以上 38名 
(敬称略、順不同)
             司会 徳岡氏

= 阪 口 記 =

2019年08月31日

出会いの妙

1987年にオープンした北京ゴルフ倶楽部の幹部候補生として先発隊(5名+通訳1名)を1988年に受け入れ、教育研修を行った。研修生は先発隊と後続隊で6ケ月ラップ、3年間で研修を終え帰国しました。
研修生はゴルフ場近くの民家を借り上げ日本の研修生、プロと一緒に住まわせ、クラブはダンロップより寄贈していただき練習をさせました。
異国の地で寂しかろうと思い、佐原市在住の代議士にお願い、佐原大祭の山車を引かせてもらったり、代議士宅で食事を御馳走してもらったり、市長の祖母の茶道手ほどき、富士山登山、河口湖別荘でのバーベキュー、遊園地めぐりなどで寂しさを紛らわせる努力をしました。
また、練習以外でキャデー業務などした時には日本の研修生並みの日当を払い、帰国時には中国で結婚費用を賄える程度の貯金が貯まっていました。
研修生帰国後、訪中の誘いがありましたが、仕事が忙しく16年後に中国北京ゴルフ倶楽部を訪れることとなりましたが、教育研修生は、王副総経理(副社長)しか残っていませんでした。


オークヒルズゴルフクラブ勤務時に、中国からゴルフコース運営を学ぶ研修生を受け入れていたことがきっかけで、定年退職後、大幅な売り上げアップを期待され、北京ゴルフ倶楽部の支配人に招聘された。北京ゴルフ倶楽部の社長は日本人であったが、副社長2人は中国人、現場は総指揮者の私以下グリンキーパー、コック長の3人が日本人で、その他150名程の従業員すべてが中国人、就任当時、中国語も話せず業務に不安を抱いていましたが、思ってもみない幸運が舞い込みました。
赴任して間もない2003年4月中国で恐ろしい伝染病SARS(重症呼吸器症候群)が大流行、伝染病拡大を恐れた当局は、北京市内の人が集まりそうな場所をことごとく閉鎖、人々が外食できない状態になり、唯一ゴルフ場のレストランだけその規制から外され、現地駐在の日本人や中国人がどんどん押しかけ、連日にぎわいました。
伝染病の流行は不幸なできごとではあるが、見知らぬ土地で大役を任された私には偶然の幸運となり、前年同月比150%アップ。北京ゴルフ倶楽部の期待にさっそく応える結果となりました。6月に入りSARSの安全宣言が出された後も同様133%と入場者の減少もなく9月末には年間の売り上げと入場者数目標を達成しました。
そして、やがて訪れる中国のゴルフブームに火をつけるきっかけともなった。
やがて北京の日中友好協会にも参加。北京在住の日本人らと交流、北京ゴルフ倶楽部への来場を積極的にかけ、当時日本企業が経営していた北京国際ゴルフクラブとも連携、コンペ、対抗戦を企画ゴルフ振興に奔走した。


中国のゴルフ場は、1984年広東省にオープンした中山温泉ゴルフクラブが最初で、北京では1986年北京国際ゴルフクラブ,1988年北京ゴルフ倶楽部(勤務先)が誕生、2003年現在北京市内で19コースが稼働している状態です。更に新たに19コースの建設中です。
2003年4月に流行したSARSの拡大を恐れ、市場、レストラン、映画館など人の集まる所は閉鎖となるところが多くみられ、北京市民は身体を鍛えることが免疫力になると考えスポーツブームが巻き起こりました。市内ではバトミントン、テニス、縄跳び、フラフープ等スポーツ用品の販売は黄金期、ゴルフ場は営業許可となっておりゴルフ人口は著しく増大しました。
2013年北京市内の9ホール以上持つゴルフ場は50~60ケ所、全土では520ヶ所と急速に増え、サラリーマン層までがプレーするようなゴルフブームが到来しています。

2019年09月30日