スイグスクのおせんみこちゃ

小高い丘の上に建てらたお城は、曲線の
城壁で周りは取り囲まれています。120
メートル~130メートルの標高があります。

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首里城を訪れた朝方は雨でした。前回
訪れただいぶ前の記録になりますが、その
旅行期間中を通じて唯一の雨日です。

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モノレール(ゆいレール)首里駅で下車
してから昼食を摂り、芸術大学の間の道を
通り、15分くらい歩き円鑑池に出ました。
円鑑池に架かる弁財天堂へ渡る天女橋は、
中国南部の駝背橋(だはいきょう)の
特徴をもち、石の欄干(らんかん)には
蓮(はす)の彫刻等が施されています。
首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まり、
隣の池、龍潭(りゅうたん)に流れて
います。

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道の前方に石垣が横に広がっているのが間
近に迫り、その上え向うには朱(あか)の
首里城が見えます。龍潭道りから歩いてくる
と、守礼門を内側に到着して、反対側から
守礼門を観ました。一度門をくぐり、
首里杜館から守礼門を折り返し通ります。
守礼之邦(しゅれいのくに)と扁額(へんがく)
に書かれています。礼節を守るという意味
だそうです。

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坂を上がり、首里城の城郭へは歓会門、外郭
最初の門を潜ります。歓会とは冊封使
(さっぽうし)などの人々を歓迎する意味で、
別名あまえ御門と呼ばれます。

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正殿への道は続いて階段を上がり、第二の門
である瑞泉門、別名ひかわ御門、第三の門で
ある漏刻門、別名かご居せ御門をくぐります。

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内郭の御庭(うなー)と呼ばれる広場の四方
を取り囲む様に正殿・北殿・南殿・奉神門
などが建ちます。450年近くの王国の政治、
外交、文化の中心であった首里城。門や
各種の建築物は天然の漆を使い、朱(あか)
で塗られています。屋根瓦には初期は高麗瓦、
後に琉球瓦(赤瓦)が使われています。

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現在の首里城は第二次世界大戦でほぼ完全
に焼けてしまった後復元され、それから
25年が経過しています。元の姿へは、
18世紀に行われた首里城の大修理を記録
した、当時の首里城の設計図である寸法記
(すんぽうき)と古写真が資料として用い
られています。450年の間には火災には
何度か見舞われ、3度目の火災の後再建
された1715年(正徳5年)から1945年
(昭和20年)までの姿を基にして再建
されています。

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首里城を訪れていた人たちは、電車の中から
外国からの方も多く見受けられ、特に台湾
から多く船でしょうか飛行機でしょうか、
来られているようでした。正殿付近でも再
び彼女たちが会釈してくれました。

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首里城見学の日、南殿・番所の入り口からは
ガイドさんが、首里城と琉球王国の歴史を
深く案内してくれました。お城の解説は
バトンタッチと行きたいところです。前の
記憶となり今は曖昧になってしまうと思い
ますし、口とイヤホンマイクを通して
でしたので、このブログ記事からは申し
訳ないところですが、また訪れようと思
います。
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おみやげショップから外へ出ようとすると
雨脚が強くなり雨宿りしました。下之御庭
では琉球舞踊が既に始まっていて、途中
からの鑑賞になりました。話の筋について
もあまり詳しくなかったのですが、今まで
見ることのできた機会もなかったので
良かったです。帰り道には雨は上がって
いました。

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