菊の咲く頃の成東

以前訪れたのは、夏の終わり頃の海辺。
車で本須賀海水浴場へ来て波打ち際を
見ていただけの記憶でした。

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サーフィンを何人かの人たちがしていた
ように思います。今回電車で訪れた成東。
千葉から銚子へ向かう途中にあります。
2006年の成東町山武町蓮沼村松尾町
の町村合併 により 現在は山武市
なっています。

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駅前のロータリーから歩きはじめ橋を渡る
くらいから、小高い丘の斜面に見えてきた
朱色の建物、浪切不動堂です。

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全国のサーフィンの神様なのではないかと
思いますが、かつて本堂の真下までが海で、
波を切る巌のうえに建てられたが名前の
由来だそうです。不動尊本尊の由来は、
天平年間に行基菩薩を造作したところの
ものと伝えられています。小高い山は
標高30mの石塚の森です。

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階段を降りて道路へでると向こうの方の右手
から、子供たちを先頭に衣装に着飾って、
大人はほら貝を吹きながらこちらへ向かって
来ました。

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15分ぐらい私たちも歩道の上に留まりま
した。一行は火渡り祭(寺務所落慶)だ
そうです。落慶(らっけい)とは新築や
修理の完成を祝うことのので、火渡りは
火災などの火を連想させないか気になり
ました。

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先ほど駅から渡って大川(作田川)の大橋の脇
には上総道学発祥の地の石碑が建っています。

舊ぬるを あらためかへて けふよりは
みちあるはしと かけぞはじめつ      
(修敬詠)

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橋の完成と、道学(朱子学)への橋渡しの
思いが込められています。

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歩くルートが成東文化会館の脇を通る道と
なっていました。大鉢3本仕立て、3本の
だるま・1本の福助、木付仕立て、懸崖など
だそうですが、私は菊には疎い方かもしれ
ません。日本古来からの大輪が凄いと思い
ます。販売もありました。

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小説、野菊の墓の作者を記念した
伊藤左千夫記念公園に至り、政夫と民子像
があります。以前、野菊の墓の本は紹介
したことがあるのですが、小説の舞台は
柴又と江戸川をはさんだ、千葉県の松戸に
なります。細川たかし 矢切の渡しにも
なっています。

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レンガで敷き詰められた広場の中央に
円柱形の台座があり、仲良く並んで二人
が座っています。向こう奥には高層の
マンションや住宅があり、ベンチの脇には
灰皿がありますが吸い殻がなく綺麗に
なっていました。

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この後、伊藤左千夫の生家へと約300m
を向かいました。その隣は山武市歴史民俗
資料館が建てられていて、左千夫の生涯と
作品、遺品、同人たちとの関わりを示す
資料等が置かれています。

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1864年生まれの左千夫は、東京の茅場町
で酪農を営んでいました。現在の日本橋
からは、牛を飼うところの飼料、排泄物の
匂いがする酪農はイメージできないのです
が、牛乳を腐らせない冷蔵技術や殺菌方向
の違いなので当時はそうだったのかと思い
ました。搾りたて30分の生乳を都心でも
また飲めるようになるとよいです。屋号は
「乳牛改良社」ですが、「茅の舎」
「デボン舎」ともいいました。

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茶室「唯真閣」・土蔵、「牛飼」の歌碑が
あります。

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37才の歳になって正岡子規に出会います。
それから亡くなるまでの13年間の短い
期間に「野菊の墓」の他、多数の小説
「隣の嫁」「春の潮」「紅黄録」などを
残しています。

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子規の没後は、雑誌馬酔木、次いで
アララギを創刊し、門下からは
島木赤彦斉藤茂吉土屋文明古泉千樫
など優れた歌人を輩出しています。
歌風は万葉風で雄大、東洋的な諦念が
底流しています。

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敷地には短歌雑誌「阿羅々木」や「馬酔木」、
小説「野菊の墓」にちなんで、イチイ
(アララギ)やアシビ、ヨメナ(野菊)などが
植えられています。

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