経ヶ峯の絢爛な廟建築

米沢城で生まれた伊達政宗は、玉造郡
岩手沢城(城名を岩出山城に変更)の58
万石に減転封されていました。関ヶ原の
戦いの後、居城を仙台に移し、仙台城
(青葉城)と城下町の建設を始めます
(慶長6年(1601年))。

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この時、35歳。60万石の初代仙台藩主に
なります(後に加増で62万石)。政宗は18歳
の若くして、父・輝宗が隠居するに伴って
伊達家第17代当主となっています。

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それから、亡くなる70歳まで、2代将軍秀忠、
3代家光に仕えます。家光が参勤交代制を
発布した際には逸早く賛成しますが、当の
政宗は参勤交代の途中で病が悪化し、江戸
で亡くなっています。

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広瀬川を渡った森の中からは毎朝、ゴンゴ
ゴーンと鐘を突く音が聞こえてきます。最初
3回捨て鐘を突き、中で8回つき、最後に
ゴンゴンゴーンと鳴らします。夕方6時に
にも鳴らすそうです。

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政宗は生前、ホトトギスの初音を聞くために、
経ヶ峯に登り同行の家臣に、死後ここに墓所
を作るように命じています。

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仙台駅前のバス停から、観光巡回バス
るーぷる仙台にのり、川が蛇行し3方が囲ま
れた瑞鳳殿前で下車。参道が急坂の上へ
と、太陽光が大分木陰で遮られた急勾配が
始まります。

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そこを登った途中の右手に瑞鳳寺の境内が
あります。瑞宝寺は正宗寺と号し、寛永14年
(1637年)伊達家の菩提寺として瑞鳳殿と
共に、二代藩主忠宗公によって建てられま
した。第二次大戦の戦火で、政宗公の眠る
瑞鳳殿は焼けてしまいましたが、こちらは
被害が少なかったようです。

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山門

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瑞鳳寺

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茶室

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初代の鐘

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瑞鳳寺の右斜めの方角の道を進むと御子様
御廟があります。五代藩主吉村公以後歴代
藩主の公子公女の墓所となっています。

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道に戻ると、左斜めと前方に上り階段が続
いています。順路を観覧券売り場の方、左上
70段ある階段を登っていきます。瑞鳳殿
境内にも30段の階段があります。

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瑞鳳殿は、伊達政宗公の遺命により、亡くな
った翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋
(おたまや)。本殿・拝殿・御供所・涅槃門
からなっています。

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涅槃門

涅槃(ねはん)とは煩悩を取り払った悟りの
境地となる状態を意味しています。再建には
樹齢数百年の青森檜葉が用いられています。

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本殿に掛かる扁額の、赤いところは珊瑚、文字
は真珠を使っています。

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本殿

一年のうち何日もないそうですが、ちょうど扉が
開いて中を御参りできる期間に私は訪れました。
建物の地下は墓所となっていて、政宗本人の
遺体が安置されていました。墓室から完全な
遺骨が見つかっているので、その分析結果から、
政宗のおおよその身長や顔の形、血液型など
が分かっています。

身長:159.4cm  血液型:B型

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後頭部が張り出し前額部がふくらんだ長頭型、
容貌は面長で鼻筋の通った貴族に見られる
顔面形質です。

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仙台七ツ道具を再現した伝統的な七夕飾りが
飾られていました。秋の日中に私は訪れました
が、七夕ナイトの期間や紅葉の時期には、本殿
がライトアップされ竹灯籠が灯され、幻想的な
雰囲気を味わうことができます。

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第二次大戦で焼け残ったなかで一番原型を
とどめている竜頭瓦です。寛永14年のもので
脇の台座に置かれています。
平成13年(2001)に仙台開府四百年を記念
して大改修工事が実施されたときに、屋根の
竜頭瓦も復元されました。

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桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な様式を
誇ります。金色が施されていて、時代背景
だけでなく、伊達者と呼ばれたことに相応しい
建造物でもあるように思います。

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この日は天気も良く多くの観光客が来ていて、
ガイドさんも出て案内してくれていました。前回
というとまだ高校生の時だったと思うので、
暗くなってからの時間に歩いた青年の記憶
がありました。

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経ケ峯の西を5分ほど順路に従って歩くと
2代藩主忠宗の霊屋、感仙殿があります。
忠宗は法治体制の確立、新田開発、治水、
港湾の整備など産業・経済の振興に
力を注いだそうです。

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その隣には3代藩主綱宗の、善応殿が
あります。2年ほど藩を治めた期間の後、幕府
から隠居を命じられ、生涯を書画や
蒔絵など芸術活動に費やしました。その作品
は現在でも高い評価を得ています。

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