上空からの風景の中、自転車で走る

大阪へは度々行っていたのですが、南部に位置
する堺へは初めて訪れました。昨年の旅になり
ます。

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商人の街として有名ですが、織田信長に売った
鉄砲といった武器と、平和的な外交手段とも
いえる茶器などがから堺をイメージしていました。

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大昔の古墳時代に遡ると、その象徴でもある
仁徳天皇陵が堺にあります。阪神甲子園球場
の12倍あり、クフ王のピラミッド、秦始皇帝陵、
とで世界三大墳墓とされています。

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現在では44期の古墳がありますが、過去には
100基以上の古墳があったことが分かっています。
2019年に百舌鳥・古市古墳群としてユネスコ
世界文化遺産に登録されました。

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南海堺駅から私の乗ったハンドルが少しカマキリ
の自転車で、街中をちょうどお祭りをしている中
通り抜け、市役所へと着きました。休日ですが
21階は展望ロビーとなっていて、360度の
方向を見ることができます。

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南の方角に広がる、仁徳天皇陵やその向こう
の履中天皇陵を上からの角度で観ます。
西野方向は海岸線が広がっています。
昔は現在よりも陸地寄りに海があり、
航海をしてきて到着する時に、古墳が数多くさ
見えるという壮大な景観が広がっていたと
いうことです。反対側の窓からは、沢口靖子
さんが当時通っていたという高校がすぐ近く
に見えます。

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展望ロビーから降り、自転車で堺の街の中を
進みます。堺の由来は、摂津国・河内国・和泉国、
3国の境(さかい)であったことに由来します。

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南海電車の踏切に至るあたりに、西高野街道と
竹ノ内街道とを別ける道標がありました。竹内街道
は奈良県葛城市の長尾神社に至る約26 kmの道で、
古代の大和国と河内国を結んだ幹線道路です。
Y字路を西高野街道側へ折れ、仁徳陵へと自転車
を漕ぎます。

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柵の向こうに仁徳陵古墳が見えてきました。こちら
側は割と住宅地になっていて、古墳は人が生活する
空間に混じって、この大きさである感じです。
徒歩だと周遊路を一周するのに約40分かかります。
堀の向こうなのですが、お堀の水面に高低差がある
ところが不思議で、水面の高さが違っていたり
します。墳丘の周囲に堀が3重に巡らされています。

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大仙公園側の正面に仁徳天皇陵拝所があります。
大山古墳、大仙陵古墳とも呼ばれる日本最大の
前方後円墳で、埋葬設備は後円の頂部になって
います。試算によると1日最大2000人が
築造に従事し、約15年8か月を要して完成
したと推定されます。

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自転車で大仙公園の中を一度通り抜け、履中天皇陵
に来ました。ビューポイントが設けられ、ローカル
放送の若手女性と外人で撮影していました。北側の
後円部がくっきりと見え、夕暮れ時の景色が見事と
いうことです。

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堺市博物館が大仙公園内にあります。この日は
流れた映像を見た20分くらいの滞在でしたが
堺の歴史、考古、民族や美術などVR体験も
交えながら鑑賞できます。

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レンタルサイクリングの1日も終盤になり、
千利休屋敷跡に辿り着きました。
茶道千家の始祖であり茶聖と称せられてい
利休。屋敷跡、懐旧庵後には
椿井という名の井戸。利休が茶の湯の師匠
紹鴎の許から持ち帰った椿の一枝を、井戸の
ほとりに挿すと、見事に白い大輪の花を咲か
せた、井戸の水を澄ますために椿の炭を底
に沈める習いがあった、とされています。
1978年、大徳寺山門(三門)の木材を
使い井戸を屋形が建てられました。

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道の向かいには、さかい利晶の杜。
利休が織田信長に送った鉄砲の玉千個に
対する信長の礼状が展示されています。

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記念館には与謝野晶子の生家駿河屋が実際の
サイズで再現されています。彼女の歌集
『みだれ髪』や詩「君死にたまふことなかれ」
『源氏物語』の現代語訳などの代表作の展示。

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再現された洋館は父が建てた家で、2階が洋館
なのは当時としては珍しく、大きな時計が掛か
っています。与謝野晶子は1878年生まれ、
和菓子商「駿河屋」の三女。歌の師である
与謝野寛(鉄幹)と結婚して12人もの子どもの
母となります。

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